つい言いたくなる「昔の自分に言いたい」系助言は意味がありません

 


もっと勉強しておけばよかった、もっとお金を貯めておけばよかった…など、昔の自分にアドバイスをしておけば良かったと思う人は多いです。また、こういう発言も良い発言だと思われています。

関心の輪という考えでは無意味

ロングセラーの7つの習慣(スティーブ・R・コヴィー)での「関心の輪」はご存知でしょうか?詳しくは本を読んでもらいたいですが、概要としては

興味はあるが、変えることが出来ないこと

です。過去のこと、未来のこと、他人のこと、自然のことなどです。過去は後悔できますし、他人のことを気にすることも出来ます。未来も気になります。もちろん、明日の天気も気になります。 しかし、それらを変えることは出来ません。

そう、関心の輪とは、気になるが自分ではどうしようもないことです。

そのため、過去の自分へのアドバイスも『関心の輪』です。だから、過去の自分へのアドバイスは、変えられないことを口にしているという無意味な行為です。

科学者ファインマンの話

科学者として有名な『R・P・ファインマン』という人がいます。ノーベル賞も取っています。当然、科学に関する本を出していますが、ここで絶望的でも希望的でもある言葉を発しています。

『ファインマン流 物理が分かるコツ』の44ページではざっくりとこんなことを言っています。

「私は科学のことをスムーズに理解できるが、出来ない人はとにかく例題を解いて覚えるしか無い。残念ながら私は物理的に物理を教える能力はない」と言っています。 こんなセンスのある人も、人に教えるベストな方法は知らないわけです。

また、イチローとか松井とかの野球選手もプレイヤーとしては超一流だが、ファインマンと同様に教えるという意味では分からないことが多いのではと考えます。

物理など物事を教える完璧な方法が無いことに絶望するということも出来ます。しかし、その一方でこんなことを言えます。

周りが簡単だと思っていることも難しいし、自分が簡単だと思っていることも相手には難しいということです。これを感じることが出来れば希望が見えると考えます。

糞バイス

世の中には色々な助言、アドバイスがあります。また、毎年何冊かの目から鱗が落ちたと言われたベストセラー本が現れます。 簡単に数学が理解できた、英語が簡単に理解できた、ゴルフのスコアが上がった、楽器が上達したなどです。しかし、実際に手にしてみるとそれ程でも無いことが多いです。

そして、一年くらい立つとその存在すら忘れ去られます。もし、本当に画期的な本だったらロングセラーになるはずです。 ということは、そんな本より昔からあるテキストブックの方が良いということになります。

本以外でも、少し出来る人が簡単だとアドバイスする例もあります。その多くが、アドバイスする側もあまり経験が無いため本当に難しいところを知らないだけです。

その、一瞬現れるベストセラー本や周りに現れる「にわかアドバイザー」こそが糞バイスの供給源です。

アドバイスではなく観察

何か身につけたい場合は、出来る人を観察するしかありません。そして、良いと思えば真似たり、現状を観察するという意味で話を聞いたりします。 決して、助言は求めてはいけません。 これが、出来る人から学ぶ唯一の方法だと考えます。

確かに、弟子入りとか師弟関係ってこんな感じです。実は師匠も教えたりアドバイスをすることが出来ないから、一緒に衣食住をしたり、鞄持ちや付き人、身の回りの世話をさせながら自分の技術技能を継承させているのではと考えます。


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残念ながら詰め込み教育は必要です 不要と主張する人は天性の才能の成功体験がある人です

「詰め込み教育は不要」と言う主張は今も昔も聞かれます。しかし、現代でも継続して行われています。詰め込む量は減っていますがそれでも児童生徒の頭痛の種にはなっています。 暗記重視の教育は止めて、自由活発な討論などを重視した教育の方が良いという主張もあります。このような主張があるとテレ...