安打でない臨時収入は使わないと貯金できます #元40代貯蓄ゼロ


唐突な話題ですが、ラジオでマネーボールと言う映画の紹介をしていました
凄く分かりやすい説明で、お金が無くスタープレイヤーをスカウトできないチームが
隠れた実力ある選手を安くスカウトして優勝したという説明をしています。
具体的には、打率ではなく出塁率を判断にするという事です。
選手の市場で高値が付くのは打率ですが、試合で勝てるという意味では出塁率も重要であったという事です。
では、この出塁率って何でしょうか?
打者が進塁できたという感じですが、必ずしもそうではありません。
いわゆるヒットで出塁出来たものを数えるという事です。
でも、ヒット以外とは何なのか?と突っ込まれそうですがあります。
エラーとかFCってものがあります。
野球の解説動画じゃないので大きく省略しますが
エラーとは、相手守備がミスした場合です。
FCの野手選択は守備が送球を間違えて進塁を許したというものです。
そう、野球の統計って、打者本人の能力によるものなのか、相手守備の問題なのかを明確に区別しています。
では貯金の話に戻して、臨時収入を手にしたとします。
ボーナスみたいな大金でも、ちょっとしたことで数万円もらった場合でもよいです。
この場合にそれを自分のご褒美にしていないでしょうか?
そうであれば、大きな間違えです。理由は先ほどの野球の説明と同じです。

第一章 その臨時収入はヒットですか?

その臨時収入がヒットであるか考えてください。
収入のヒットとは、あなたが何かを行った見返りとしてもらったものであるかです。
会社の営業成績が一位になって報奨金を貰ったと考えます。
この場合、確実にあなたの努力でもらったものであれば臨時収入のヒットです
一方で、いつも一位だった人が長期の病欠をした場合は、野球でいうとエラーになります。
突然会社の業績が上がって、臨時ボーナスが出た場合もあなたの功績でなければエラーです。
実は臨時収入の類はあなたのヒットではありません。
野球のエラーと同じ、あなたの努力以外の結果による成果です。
このように、お金を手にしたらそれがヒットかエラーか意識してください。
野手選択、野球の話じゃないのでここでは忘れてください。

第二章 誤ったご褒美と暴走

ストレッチや伸びは気持ち良いです。そして、ボキッと関節がなるから気持ち良い
実はそれって誤っています。
ストレッチが気持ち良いのは、筋肉が伸びているからです。
ただ、ストレッチが限界までいくと、そこで関節が鳴るので勘違いするだけです。
パブロフの犬ってあります。犬に肉をあげる時に、ベルを鳴らすとそのベルの音においしさを感じてしまうと言うものです。
パブロフの犬も肉の味がおいしいわけであり、ベルの音は単に同時になっているだけです。
それと関節が鳴るのと同じです。
気持ち良いのは筋肉が伸びていることです。そして、関節が鳴るのはベルの音に等しいです。
だから、人も犬と同じように勘違いしてしまうわけです。
余談ですが、関節を鳴らすのは害しかありません。だから、ストレッチをするときは関節が鳴る手前でやめてください。
臨時収入を貰ったら、それを褒美だと思うのは
パブロフの犬や関節が鳴って気持ち良いという現象と同じです。
そう、完全に誤ったご褒美で暴走しているわけです。

第三章 臨時収入は貯金する

臨時収入がヒットかエラーかと考えると、ほぼすべてはエラーだと考えます。
自分に利益はあるが、あなたが活躍した結果ではないという事です。
この場合は、速攻で貯金してください。
財布の中に入れておくと確実に使います。だから、速攻で銀行に入金してください。
他にも物を売って手にしたお金もご褒美と勘違いしないでください。
これには2つパターンがあります。
一つは間違って買ってしまったものです。楽器を買ったが結局合わなかったと言う場合です。
この場合は決して売って得したと考えてはいけません。
買った金額が10万円で、売った金額が2万円の場合は
2万円の臨時収入ではありません。8万円の損益が確定したと考えてください。
二つ目は計画にあった売却です。100万円で買って、5年後に50万円で売却するというものです。
これは単に5年間の所有権を50万円で買ったと考えてください。
5年後に売却した50万円はボーナスではありません。
確実に貯金に戻してください。感覚的には自分で管理する残クレです。
この、単にお金と言うものが返ってきたときの対応を誤ると
あなたの脳はパブロフの犬になります。また、誤った関節鳴らしになります。
お小遣いみたいな感じでお金をもらったとします。
この場合、大体は自分へのご褒美で飲み代とか特にほしくなかったものに化けてしまいます。
これは危険です。次からは速攻で銀行に預けてください。

まとめです

第一章 その臨時収入はヒットですか?

  • 野球の安打とエラーを意識してください
  • その収益は成果によるものですか?
  • ボーナスはあなたの成功によるものではない

第二章 誤ったご褒美と暴走

  • 関節を鳴らして気持ちいいのは誤り
  • 関節鳴らしとパブロフの犬は同じです
  • 臨時収入を褒美にするのは間違えです

第三章 臨時収入は貯金する

  • 臨時収入は単にお金が動いただけ
  • 財布を金庫にすることはできません
  • お金を手にしたら速攻で預金です

安打ではない臨時収入は貯金
この言葉を何度も繰り返してください。
エラーと言うか、何かよく分からないがお金がもらえたという場合は絶対貯金です。
下手にそういうお金を使ってしまうと、誤った報酬系が頭にできます。
そうすると、お金を見ただけで報酬だと思って使ってしまいます。
何か手伝ったらお金をもらえた場合も、使わずに貯金してください。
ただ、ご褒美がダメなわけではありません。明確に時期や目標を決めれば良いです。
クリスマスだけ、お正月だけ、年に一回の会社の忘年会だけみたいに確実に褒美の日を決めてください。
成果の場合は、確実に目標を達成した時だけに決めてください。
次から臨時でお金を貰ったら、お店ではなく銀行に行ってください。
これで、直接的にはお金がたまります。そして、間接的には節約が出来るのでさらに貯金できます。

創造性を義務に感じないと貯金できます


皆さん、人のまねをしているのは良くないという言葉は聞いたことが無いでしょうか?
有意義な人生には独自の創造性が必要で、既存のルールを使った遊びや仕事は良くないという話をです。
学生から社会人まで一生聞かされる助言です。
具体的に言われるのは、消費側に回ることは良くなく、出来るだけ生産側に回る方が良いということです。
ゲームを作るのは創造的で良いが、そのゲームで遊ぶのは良くないというような名無しです。
遊園地を作るのは想像できだが、そこで遊ぶのは単なる消費と言う意味です。
でも、これは間違っています。
もちろん、運がよく提供側になることが出来れば、それを意図的に手放す必要は全くありません。
ここで言いたいのは、仮に消費側で楽しんでいたとしてもそれを罪悪に思わないでほしいと言う事です。

第一章 創造者が少ない現実を認めます

株式市場を考えます。誰に聞いても株式市場は社会システムとして動いていると考えます。
何度か不況はありましたが、それでも別のシステムに流れることはありませんでした。
もし、全ての人が独自でなければいけないという事であれば、株式市場などと言うシステムは破綻しています。
でも、破綻していません。気持ち悪いくらい世界中の人々が株式市場と言う仕組みを使っています。
ここからが本題ですが。完全に人のまねが良くないという事であれば、株式市場と言う仕組みに乗ることが問題なわけです。
これは、ごく一部の人が創造した株式市場と言う仕組みに、全員が乗っているという意味です。
そもそもの社会システムがごく一部の創造者が作ったものなわけです。
コンピュータのCPUや言語、OSなどのプラットフォームもごく一部の人が開発しています。
そして、大多数はその上に乗ったうえで何かを作り出しています。この大枠を作ったのはフォンノイマンという科学者です。
音楽理論も大枠はJ.Sバッハが作ったと言われています。88の鍵盤に特定の周波数を割り振り、演奏中に調整を変えずに
12の調を演奏できる仕組みは今の主流です。そのうえでいろいろな音楽が発表されていますが、これも一部の創造者に
多数が従っている例の一つです。
そう、世の中の大多数が一部の創造者や創造物に従っているわけです。まずは、これを現実だと考えてください。

第二章 完璧な模倣は芸術です

バッハ以降の近代音楽は単なる模倣であり、芸術ではないという人はいません。
そして、現在その音楽を研究したり、忠実に演奏することが芸術とされています。
コンピュータ技術もフォンノイマンの理論の元に現在も拡張されていますが、これも十分科学だと言われています。
日本の剣道、弓道、茶道、書道などと言われる何とか道と呼ばれる行いも、定められた作法を守る形で行われています。
囲碁将棋も同じルールの下で長年試合が行われています。
私はそれらを十分芸術や科学と考えます。ごく一部の創造者が基本的なところ考え
後を進む人はその考えを忠実に守っていく模倣なわけです。
もちろん、その中で世界を動かす革命的なことも起こっていますが、それこそ少ないです。
昔に友人が、ピアノを練習するのは創造的であるか?と疑問を投げかけていました。
その時は私も分からなかったですが、今ではピアノを練習することは創造的であると私は言えます。
模倣や真似事が絶対的に創造的であるかは私は断言できません。
しかし、創造者でないことを根拠する創造的ではないという論法は否定します。
人の後を歩くことは楽と言う話は聞きます。ここまでは私は良いと考えます。
しかし、多くの助言ではそのあとに、だれもが歩いていない場所を歩くように言います。
これを、芸術の模倣に当てはめるとこうなります。
ピアノの練習曲と言う誰から歩いた道を歩くのではなく、自由にあなたの心から弾きたいと思ったことをやればよい
こんなことを言っているようなものです。もし、これが正しければ、友達の家にあるピアノやオルガンを乱打するだけで
何か芸術的な道が開かれるわけです。 でも、そんなことはありません。
誰もが、ピアノやオルガン、ドラム、ギターやヴァイオリンを適当に操作して音を出した経験はあると思いますが
そこから、何らかの創造性を発揮できた人はいないと考えます。
楽器で創造性を発揮できた人は、既存の楽曲を練習した人であることは断言します。
消費の娯楽と揶揄されるビデオゲームも、ゲームプレイを極めれば見てくれる人はいます。
スーパープレイは芸術になるのです。でも、ゲーム自体は一部の創造者が開発しています。

第三章 自分が良ければそれでよい

ピアノを買って毎日飽きずに毎日演奏しているとします。
10年たっても一曲しか演奏できないとします。
大体の人は馬鹿にします。全然上達しないとか、あの人はピアノを止めた方が良いとか絶対に言います。
これでバカなのは、周りの意見する人です。
そして、次にバカなのはその意見に流されて、新しい曲を練習したり、ピアノを処分してしまう人です。
これは極端ですが、こんな意識があるのは現実です。
この理由は、創造性を義務にしてしまうところです。
周りの意見で間違った義務感が植え付けられて、やりたくもないことをやってしまうわけです。
自分で次の音楽を覚えたいとか、表現力を高めたいと考えたなら問題ありません。
しかし、周りから言われたから新しいことに手を出すのは大問題です。
この、自分一人で考えることが出来るのは重要です。
テクノロジーは生活を豊かにすると言われますが、「自分が良ければそれでよい」という考えに取っては害悪が多いです。
それは、SNSです。直接的には相手の「いいね」を期待して行動したり
周りがこうしたらよいと意見を気にしてしまうところです。
これが、昔なら全くなかったわけです。
家にピアノを買ったとしても、交流関係は弾いている事すら知らなかったと言うことがあるわけです。
ゲームなら自分だけで出来たわけです。 囲碁や将棋もそれが面白いと思う人だけでやっていたので
不要な交流関係からの干渉は無かったわけです。
SNSやネットが無かったときは、「自分が良ければそれでよい」という考えが自動的に貫けたわけです。
だから、自分の趣味は積極的に隠したほうが平和だと考えます。

まとめです

第一章 創造者が少ない現実を認めます

  • ルールを作った人はごく一部です
  • すべての人は仕組みの上にいます
  • ノイマン、バッハなど名をあげられる創造主は少ない

第二章 完璧な模倣は芸術です

  • 先人の真似は悪ではない
  • 弓道、書道、華道は創造的である
  • 楽器を乱打しても何も生まない

第三章 自分が良ければそれでよい

  • 自分が良ければ上達しなくても良い
  • 外部からの義務感は悪です
  • 趣味の外部配信は害悪が多い

テレビの取材で自宅を見せたくないという有名人は多いです。
その理由としては、自分の遊びは神聖であると考えているからです。
遊びは自分で楽しむことであり、人に見せるものではありません。
さらに、人に見られると不要な助言が耳に入ります。これも問題です。
人の意見を聞かない人は失礼とか石頭と考える原則があるからです。
ここで、間違った対策として、自身の失礼さや石頭を治そうとするところです。
でも、治すのはそこではありません。そう、神聖なものは人に見せなければ良いのです。
自分のコレクションを興味のない人に見せるのは悪いことです。
理由は、相手がつまらないと思うからではありません。
大切なコレクションを不要な人に見せることで、不要な助言を耳にしてしまうことです。
だから、自分のプライベートは緩く隠すのが必要だと考えます。
別に鉄壁の防御である必要はありません。この意味で趣味を隠したいのであれば
職場、飲み会で趣味の話をしない。趣味が特定できるグッズを身に着けない。ステッカーを張らない。
リビングに趣味の物を飾らない、むやみに趣味の部屋にお客さんを入れないなどです。
趣味が外部に侵される理由としては、興味のない人に見せることです。
別に相手は攻撃の意図はありませんが、他愛ない言葉、悪気が無い言葉、大きなお世話、良かれと思った助言など
知らないうちに侵してしまいます。
だから、ある程度の防御は必要です。
子供の時に、好きなアニメキャラのグッズを見られて馬鹿にされたとか
そういう人を見たことは無いでしょうか?
女子向けとされるアニメを男子が見ていた。
年齢層がずれた作品。リーダー的存在がバカにする作品など
そんなグッズを持っていると突っ込まれます。
これも、人に見せたいという承認欲求から生まれます
だから、幼少期からこの手の問題があるわけです。
もし、自分や理解できる人だけで楽しんでいればこのようなことは防げたわけです。
自分が望まなければ、進歩や世間の流行の事は考える必要はありません
そのことにより、創造性を義務に感じなくなり自分のペースで趣味を満喫できます。
それが無駄な行動を防止し、無駄な出費を減らし貯金できます。

黙ってニュースを聞けば貯金できます

テレビでもスポーツ観戦でもいいですが、黙って観ることが出来ない人は周りにいないでしょうか?
ここでは、自分自身は置いておきます。理由としては自分観察は難しいからです。
ニュースに対して好き嫌い、憶測、分析をする。スポーツに対しては後知恵を元にした批判をする。
そんな人はいないでしょうか?
では次の質問です。そういう黙って観戦できない人はあなたの役に立ちますか?
その人の意見がすごくニュースの理解やスポーツの観戦に役立つかです。
どうですか? ただ、ウザいだけじゃないでしょうか?
では、また質問です。どうしてウザいと感じるのでしょうか?
その理由は、事実ではなくその人の分析だからです。
分析と言うと聞こえはいいですが、批判や文句だ言い換えてください。

第一章 事実は欲しいが意見はいらない

よくある間違えとして、選挙で自分が投票していない候補が当選した場合
「私は反対だったし、意見を聞いてくれない共同体はひどい」
みたいな反論があると思います。しかし、この反論は間違えです。
選挙って共同体の構成員の自由意思を聞いているわけではありません。
構成員全員の好き嫌いを投票することによって全体の意見を決めているわけです。
だから、嫌いな候補が当選したことは事実であり、全体の意思決定であるわけです。
ただ、身近な話だと事実より意見の方が口に出るわけです。
ここで分かるのは需要と供給のアンバランスです。
意見は大量に供給されるが、意見の需要は少ないという事です。
そういう事です。学校で習ったと思いますが、売りが殺到し、買いが少なければ価値は暴落します。
だから、世の中の意見には価値が無いわけです。
では、どうして意見が貴重と勘違いされるのだろうか?
それは、有名人の意見が貴重だからです。
同じ株に関する意見も、私が言った場合と、バフェット氏やレイダリオ氏が言った場合とで全く価値が異なります。
ただ、だれが言っても同じ文字列なので、皆さんはその文字列にこそ価値があると勘違いするわけです。

第二章 意見を求めない

本を読めば必ず事実が手に入るという話も危ないです。
ベストセラーとして書店に平積みされている本
あっ、今ならAmazonランキング上位の本は事実と言うより
その有名人の意見が書かれていることが多いからです。
ただ、なぜかそれを事実として感じてしまうわけです。
昔に読んだ、イケてるファッションみたいな本はひどかったです。
はっきり言って、事実と言うより著者の感じることや、こうなってほしいと言う願望での本です。
確かに流行とされるファッションではありますが、本当にそれが全てかは怪しいです。
ファッションと言うことで考えると、流行おくれの服を着ている人は結構多く見かけます。
と言うか冷静に考えれば、コレクションのランウェイのような現実の方がおかしいです。
多くの人は、傷んだから今売っている手ごろな服を選んでいるだけだと考えます。
そんな事実と、最先端ファッションは現実と食い違っていると考えます。
では、どうしてそのような意見を求めてしまうのだろうか?
それは、自分を肯定したいからです。自分の行動に対して同じ意見を聞きたいわけです。
身近な例だと、自分の考えや行動に対して周りに同意を求めることです。
これこそ意見中毒なわけです。

第三章 事実を面白がる

時々ゲームの世界で「ファンタジースポーツ」が話題になります。
参加者は選手を集めて理想のチームを作ります。
選手の情報は成績に応じて数値化されて、理想のチームに反映されます。
それで勝ち負けを競うゲームがファンタジースポーツです。
あなたが理想で選んだチームと言う意味でファンタジーなわけです。
でも、日本では全然流行りません。
理由としては、数字で淡々と判断されて意見が入る余地が無いからです。
実際の試合なら、色々と意見する箇所があります
しかし、ファンタジースポーツは統計や計算です。
そのファンタジースポーツ的な事実を面白く感じれば
事実を正しく認識できるわけです。
事実を面白がるには、自分自身の意見を止めてみることです。
まず、やって見るのは、黙ってニュースを聞いてみることです。
ここで、話に反応して意見が頭に思い浮かぶ人は重症だと考えてください。
一番多いのが、全てを好き嫌いで意見することです。
宣伝、殺人事件、政府の方針、著名人の不倫、新車発表、娯楽など
全てに対して何らかのポジションを持たないといけないという圧力です。
とりあえず、これら全てを無視してください。
方法は、冷たくなればいいわけです。殺人事件でさえ、善悪の判断を放棄するわけです。
世間に対して無責任になるわけです。とはいっても、絶対に責任を持つ当事者はいるので
その人たちが問題を解決してくれると安心してください。
自分は中立の意見を持っているという考えは妄想に近いです。
これはひどい話があります。実際にあったケースです。
動物好きな知り合いがニュースで小型犬の飼育放棄のニュースで憤慨していました。
その後、似たようなニュースで蛇とかイグアナとかの爬虫類の飼育放棄の話があった時に
「それは問題ない、爬虫類なんて飼う人の神経も分からないし・・・」
です。
他にも、クイズショーとかは単なる娯楽で意味が無いと言っている人が
陸上競技に関しては意味があると言っているわけです。
別に中立とかって話じゃなく、当人の好き嫌いで論じているだけなのです。
中立とか万能とかって言葉を使っている人が、単なる感情論になっているわけです。
だから、分析できるという人が自分自身の分析すらできていないわけです。
一方で、有名な投資家やノーベル賞を取るような科学者が、「知らない」と言う言葉を多用します。
繰り返すように、自分の分野じゃないから分からないというわけです。
だから、普通な私たちもそれに習って、分からないことには意見せずに情報だけを見聞きすれば良いのでは無いでしょうか?

まとめです

第一章 事実は欲しいが意見はいらない

  • 世間は意見は求めていない
  • 意見は大量に供給されている
  • 意見が貴重なのは誰が言ったか

第二章 意見を求めない

  • 著名人は事実のように意見を言う
  • 自分の意見に同意を求めない
  • 意見は中毒の危険があります

第三章 事実を面白がる

  • 事実は刺激がありません
  • 一個人に中立な意見などありません
  • 賢い人ほど知らないことが多いです

実は意見って内容を求められているわけではありません。
成功者のセミナーを聞くのは、成功者から話を聞きたいわけです。
全く同じ内容でも、あなたの話には全く価値はありません。
では、普通な人に何が求められているかと言うと
単純な事実と手順です。
単純な事実とは、ニュースで言ったことです。
殺人事件、不祥事、新製品情報などの事です。
手順とはだれがやっても同じになる計算の事です。
凄い殺人事件が起こった! と伝えるのは事実ではありません。
凄いという意見が入っているからです。
ニュースで凄い殺人事件が起こったと伝えるならそれは事実です。
そう報道していたわけですので。
今日からとりあえず、黙ってニュースを見ることで事実を確実に頭に入れられます。
話を聞きながら意見を考えると、確実に混ざります。だから注意してください。
名門大学生の読書術なる本では、読みながら反論を考えるとあります。
しかし、あれは基礎的な能力、本に書かれている事実のみを読むことが出来たうえでの話です。
だから、普通な人がまねても不要な部分に突っ込みを入れてしまうだけです。
悔しいですが基礎からじっくりとやって見る必要があります。
幸い、練習するにも特別な機材や本は不要です。
単にニュースや人の話を意見や分析を入れずに話せばよいわけです。
それをひたすら繰り返してください。つい、意見したくなりますが、魔が差したと思って気を付けてください。
このことにより、周りより情報が多く入り、無駄の無い生活が出来、貯金が出来るようになります。

要約された物を避けると貯金できます

皆さん、要約されたものは好きですか?
当然だと言われそうです。
難しい映画や本など直接は理解できませんが
要約された情報なら簡単に理解できます。
でも、よく考えてみて下さい。
本当に要約された情報で十分なら、元の本や映画の大部分は無駄なのでしょうか?
そんな訳はありません。映画も本も製作者が必要最低限の内容でまとめています。
どちらも、編集者が苦しみながらまとめています。
だから、要約とされる物は必要な部分を削られているわけです。

第一章 ダイジェストの語源と少々汚い話

ダイジェストという横文字を知っていますか?
要約とかまとめと言う意味です。カジュアルに使われているので広まっています。
では、ダイジェストの元の意味は知っていますか?
親が子供のために食事を口で食べやすいように柔らかくして与えるって意味です。
ちょっと想像すると汚い感じがします。嫌じゃないですか?
要約もそのように考えて下さい。
口移しと言うのは極端ですが、皆さんの食事も食べやすいようにミキサーされたらどうですか?
喜びますか? 嫌だと感じます。
話を情報に戻して、要約を好むのは情報が誰かによってミキサーされているということです。

第二章 要約より少ない情報を味わう

ニュースで「ファスト映画」が流行っていると聞きました。
映画を10分程度の長さに要約している動画です。
これを見ると映画を理解したつもりになるとのことです。
流行の映画もファスト映画でチェックすれば時間短縮になるわけです。
では、なぜ簡単なまとめを必要とするのか?
それは、手軽に物知りになりたいからです。
もっと極端な言い方をすると、手軽にオタクになりたいわけです。
映画、アニメ、漫画などサブカルチャーを1から理解するのは厳しいから
要約した情報で知識を得るというわけです。
これって、意味があるのだろうかと思います。
練習せずにスポーツで勝ちたいという考えです。
ビデオゲームだとチートで勝つと言う話です。
正直、時短のつもりで行っているはずが、ゴミ情報や経験を集めているということです。
ゴミ屋敷は物を集めた結果ですが、それと同じように無駄な経験や情報を集めているわけです。
こんな事をするくらいなら、本当に好きだと思ったことだけに集中すれば良いと考えます。
ファスト映画を120本見るくらいなら、映画一本を10回ローテーションして下さい。
小説や漫画の要約を見るくらいなら、一冊の本編を10回読んで下さい。
こちらのほうが同じ時間でより有意義な情報を得ることが出来ます。
そして、誰も同じものを10回もローテーションしていないので
その作品に関してはオタクと言えるくらいの知識はついているはずです。
しかも、浅はかな知識だと突っ込まれることもありません。

第三章 知らないことは世間知らずだと思わない

流行のスイーツや食事、遊びやテレビ番組を知らないとします。
この場合に、自分は情報感度が低いと決して思わないで下さい。
反対に世の中の大量の情報に惑わされていないと安心して下さい。
安心できないのであれば10年前の流行は今はどうか考えて下さい。
あなた自身も覚えていないし、周りも知らないというと考えます。
当時は流行だと熱くなっていたことですら、忘れているわけです。
忘れるのだったら最初から知らない方が良いわけです。
そして、その時間を厳選した作品に集中すれば良いわけです。
知らないことは世間知らずという勘違いは止めて下さい。

最後に

インスタント食品や加工食品は通常の食品より体に悪いと認識されています。
それと同じように情報も、要約など誰かに加工されたものは悪いと考えて下さい。
幸い、食品とは違い、未加工の情報は手に入れやすいです。
ネットでも未加工の情報がありますので情報の入手には苦労しないと考えます。
それでも、加工された情報を手に入れるのは、要約された浅い情報の方が心地よいからです。
理由は、世間が与える脳への報酬と労力の比が、浅い情報のほうが大きいからです。
色々なことを広く薄く知っていると周りから凄いと言われます。色々知っているねと言われます。
一方で、何か一つのことを極める場合は、周りから理解されません。
そう、苦しい割に脳への報酬が低いわけです。これが問題です。
この誤った報酬に惑わされない方法は、周りの評価を無視することです。
自分がやりたいから、好きだからやっていると言う考えであれば
要約された情報など自然と無視できます。
その本が好きなら全てを自分で読みたいわけです。
このように集中すれば、不要なものを相手しなくなるので無駄がなくなり貯金できます。

チャンスというバスは次も来ると考えると貯金できます

チャンスの神様には前髪しか無い って言葉を聞いたことは無いでしょうか?
大雑把な意味としては、後から捕まえようとしても後ろ髪は無いから捕まえられないということです。
そして、成功者はそんなチャンスの神様を捕まえていると言われています。
しかし、それは大嘘です。
実は成功者はその逆の考え方である
チャンスというバスはまた来る
という考えを実践しています。
だから、貯金をしたければ、チャンスの神様ではなく、チャンスというバスを待つのが良いです。

第一章 チャンスの神様はギャンブル

チャンスの神様を捕まえる場合は賭け事が必要です。
まず、一つは得体も知れないものに対するリスクです。
説明するのもバカバカしいですが、知らないものには長所も短所もあります。
チャンスの神様の前髪をつかむのは、その長所も短所も分かっていない状態で捕まえるということです。
捕まえた後でチャンスの神様の実態が分かります。
もう一つは、チャンスの神様を捕獲する事前準備をすることですが、これもリスクがあります。
どこに現れるか分からないチャンスを待ち受ける行動こそギャンブルなわけです。
だから、露骨にチャンスの神様を出してくる話は当然として
今がチャンス、情報はないが今買うと半額という話には近寄らないで下さい。

第二章 チャンスのバスは利点があります

実はチャンスのバスもチャンスの神様も確率は半々です。
完全に条件が同じなら、両方を相手にするのが良いです。
しかし、チャンスのバスには多くの利点があります。
1つ目は、そのチャンスを事前に調べられることです。
二つ目はチャンスに関する準備をすることができることです。
多額の資金が必要なチャンスがあったとします。
チャンスの神様の場合は、そのお金をどこかから借りる必要があります。
でも、チャンスのバスなら何度かバスを見逃しながら貯金をすることが出来ます。
そして、その間にそのチャンスが本当にチャンスなのか見極めることが出来ます。
これは非常に大きいと考えます。
私生活でもこれは役立ちます
衝動的に物が欲しくなった場合に、チャンスの神様だと思うと買ってしまいます。
一方で、チャンスのバスだと思えば、また次も来ると思い買いません。
バスが何度も来るうちに、本当に必要なものなのか? じつはあまり必要でないものなのかが分かります。
だから、チャンスの神様は無視して、チャンスのバス停で待ち続けて下さい。

第三章 皆と同じは素晴らしい考え

楽な方向で皆と同じになることができる場合はそれに従うのが良いです。
ちなみに方言を治すとか、子供っぽい趣味を大人に趣味に変えるという意味ではありません。
それは厳しい方向での皆と同じですので考えないで下さい。話を戻して
周りが安い携帯電話の話をしていた場合、すぐに変えても問題はありません。実際安くなるわけですから。
周りが高級車を買って生活が豊かになった。これに従うのは厳しい方向です。止めて下さい。
皆が安いと思っている店で買物
皆が面白いと思っている遊びを安ければやってみる。
この考えは、チャンスの神様を無視して、チャンスのバスを待つという方法です。
何度もチャンスのバスが来ているということは、そのチャンスが害がない物であるわけです。

最後に

実はチャンスの神様の話って、詐欺っぽい話でよく聞きます。
二十歳になるとそんなに仲良くなかった同級生からお誘いが来るあれです。
そこで出てくるのが「チャンスの神様」です。今、契約しないともうチャンスはない。
私もこういうのがありましたが、20年経った今でもそのバスは来ています。
あと、チャンスの神様を有効活用できるのは、情報力と資金力がある者だけです。
チャンスの神様を全て捕まえたら期待値は100%を超えると分析できる場合です。
そんなチャンスの神様を一般人が個別に相手をしたら、損する可能性があります。
だから、お金を貯めたいのであればチャンスの神様とかチャンスは一度しか無い
という言葉は無視して下さい。
そして、何度も来るチャンスのバスに皆と乗車して下さい。

なぜダメだったを分析すると貯金できます


皆さん、成長していますか?
当然だと考えます。肉体的にも精神的にも成長はしているはずです。
その中で、精神的な成長は変化したことに気が付かないことが多いです。
確実に変化はしているのは事実ですが分からないわけです。
その理由としては、比較する基準点が定まっていないためです。
だからと言って納得するのは非常に多くの物を失っています。
どんな人も、ある事が出来ないと思っていたが、いつの間にかそれが出来るようになった経験はあります。
成長したという意味では得るものがありますが、それより貴重な事実を忘れています。
それは、ダメだった時の気持ちや理屈です。
これって笑ってしまうほど忘れてしまっているわけです。
俗っぽい例だと、かたくなにスマホを拒否っていた人が
半ば強制的にスマホに乗り換えて慣れたら
「ガラケーなんて使っている人の気持ちが分からない」
になってしまう事です。
これこそが、ダメだった時のことを忘れている典型的な例です。
この経験を貴重なものにするには、頭の中に
ガラケーを頑なに使おうとして、スマホなど意味が無いと思っていた過去の自分
スマホに変えて快適になった今の自分
この二つを鮮明に意識することが重要です。

第一章 自転車に乗れなかった記憶

自転車に乗れる人も、過去には乗れなかった時があったはずです。
残念ながら、先天的に自転車に乗れた人や、今も自転車に乗れない人はこの話は理解できないので知識として聞いてください。
自転車って最初は上手くバランスを取れずにすぐに足をついていたと考えます。
ある程度慣れたと思ったら、不意打ちのようにバランスを崩して転倒するなどです。
軽く怪我をしながらいつの間にか乗れるようになるわけです。
しかし、その自転車に乗れなかった時の気持ちは、乗れた瞬間に飛ぶわけです。
念のために周りに聞いてみて下さい。自転車の乗れなかった時の気持ちをです。
全ての人が覚えていないというと考えます。
もし、ここで、自転車に乗れなかった時の苦労と気持ちを忘れなかったとします。
自転車に乗れる今の気持ちと、乗れなかった時の過去の悩みを同時に持てるわけです。
この、出来なかった時と出来る時の気持ちを同時に持てると、さらに新しいことを覚えるのに役立ちます。

第二章 お金と自転車

貧乏でお金を使っていなかったが、収益が増えて大金を手にしたとします。
この場合に、自転車に乗れたら、過去の苦労を忘れるように
大金を手にした瞬間に、過去の貧乏な時代を忘れてしまう事は危険です。
過去の苦労も今の問題が解決された瞬間に全てを忘れてしまうから、散在するわけです。
人は何らかの問題を抱えています。そして、何らかの方法で解決します。
しかし、解決したらすべてを忘れるわけです。これでは、何も得られるものはありません。
お金と自転車、気取った言い方だと 金融リテラシーと自転車は似ています。
まず、どちらも親など分かっている人から教わったわけではありません。
自分で軽いけがをしながら覚えていくわけです。
そして、出来るようになったら出来ないときの気持ちが消えてしまうので
親から子供に教えることが出来ないわけです。
自転車の乗り方も親が教えている感じに見えますが、ただ、子供が失敗する横で見守っているだけです。
ただ、安全と言う意味では確保されており、子供が最初に練習する場合は
速度が出ない平地で安全に練習するわけです。
自動車が往来する道や急な下り坂で練習することなど絶対にしません。
あと、自転車は成長するほど練習するリスクが高まります。だから、幼少期に練習するわけです。
金融リテラシーも同様に、親は教え方を知らないわけです。
また、初めての運用も100万円単位で行うわけです。そして、大けがするわけです。
それって、自転車でいうと最初から急な下り坂で練習するのと同じです。絶対に大けがです。

第三章 ストライダーとお金

最近の自転車練習は『ストライダー』というペダルとブレーキが無い自転車を使います。
確実に足が付くペダルが無い自転車で練習します。
これで覚えられるのは、バランス感覚です。足で自転車を蹴っていることで
惰性で進む距離を延ばすことでバランス感覚を養います。
バランスを失ったら足で立てば良いだけです。
平地ならスピードは出ないので、足をつくだけで止まれます。
ギャンブルでいうとポーカーみたいな感じです。
悪い手札なら速攻でゲームから降りれば、痛みは参加料だけです。
ルーレットみたいにオールオアナッシングなゲームではありません。
金融リテラシーもストライダーのように、いつでも安全にブレーキをかけられるように練習すれば同様に大けがは無いです。
株でいえば、上がると思って買った銘柄が、下がった場合速攻で売れば良いわけです。
500円上がると予測される株を買ったが、10円下がったらそこで売るわけです。
そう、ヤバくなったらブレーキなのです。それは自転車も投資も同じです。
さらに、生活全般でも言えます。
ロボット掃除機を買ってみたが、ライフスタイルに合わないかもしれないということが考えられます。
この場合はダメだから売るかもしれないという考えを持つわけです。
付属品やパッケージは捨てずにとっておき、ダメだったら個人売買で売るわけです。
一緒に保証書を付ければ買う側も安心です。3万円の商品で5000円損しても3万円より痛くはありません。

まとめです

第一章 自転車に乗れなかった記憶

  • 自転車に乗れない時は絶対にあったはず
  • 自転車に乗れなかった時の記憶は重要です
  • 出来る前と後の記憶を持っていると最強です

第二章 お金と自転車

  • 今が金持ちなら、過去の貧乏を忘れます
  • 金融リテラシーと自転車は似ています
  • いきなり本番では大けがです

第三章 ストライダーとお金

  • 自転車よりストライダーの方が損切りが楽
  • ポーカーは軽い傷でゲーム離脱が出来ます
  • ブレーキや安全対策は最優先です

大きな問題は、人は今に反応する動物だからです。
テレビニュースを凄いと感じたのは、今起こっているから凄いわけです。
ニクソンショック、バブル崩壊、リーマンショックも
その時は凄いが、歴史で振り返ると平凡なわけです。
今は不景気だと言っている人に、リーマンショックの話を聞いてみてください。
笑ってしまいますが、良くわからないと返されます。
そんな人も、リーマンショックの時はすごく不景気だったと感じているはずです。
繰り返しますが、人って今がすごいのです。そして、過去を忘れるわけです。
毎年夏が来るたびに、最悪な暑さだ、早く冬が来てほしいと言わないでしょうか?
毎年冬が来るたびに、最悪な寒さだ、早く夏が来てほしいと言わないでしょうか?
そんなものです。それが、「今がすごい」と言う事です。
真夏に冬の寒さを想像する
真冬に猛暑を想像する。
どうして自転車に乗るのが怖かったのか思い出してみる。
今ではスムーズに出来る分数の計算が、どうして過去にはできなかったのか考えてみる。
今では簡単なスマホの操作をどうして過去は難しいと考えたのか?
それをじっくり考えてください。それが出来れば
収入が上がっても、貧乏な時のことを忘れずに節約でき、貯金が出来ます。

不快な交流関係を止めると貯金できます


皆さん、微妙に人間関係が不快だと思ったことが無いでしょうか?
支離滅裂なことを話してくる
わかっていることを何度も聞いてくる
質問を装った自己アピール
約束を微妙に守らない
明らかに知識不足なのに深い話をする
これを自分にも問題があるのではと思っていませんか?
そして、何とか説明すれば修復できると希望を持っていませんか?
実はこれがお金が貯まらない理由です。

第一章 問題はお互い様です

先程の例のように微妙に話が合わないと感じる原因は
あなたにも問題があります。
そして、相手にも問題があります。そう、お互い様です。
だから、あなただけが悪いと思ってはいけません。
仮にあなたが悪いとします。
その場合、あなただけが問題解決をすればよいわけです。
でもどうでしょうか? 何をやっても不快な関係が続いていませんか?
そう、理由はお互い様だからです。
なので、あなただけに問題があると感じてはいけません。

第二章 世の中の問題は解決できない

皆が持っている手頃な物を買えないのはストレスになるが
フェラーリとか高級車を買えないのはストレスにならない。
この理由は、明らかに無理だということが分かっているからです。
人間関係でストレスになるのは、その問題解決がフェラーリ購入ではなく
手頃なものを購入したいという認識だからです。
だから、人間関係の問題は簡単には修復できないと考えて下さい。
出来ないものと考えてしまえば修復など考えないわけです。
あと、周りで仲良くしていた人としばらく会っていないという話を聞きませんか?
それは微妙に悪い人間関係になってしまったと考えられます。
そう、周りも修復するのが面倒な問題を解決していないわけです。
だから、あなたも全ての問題解決をしないで下さい。
もっと分かりにくければ、親子兄弟の関係を聞いて見て下さい。
兄貴や弟とは絶対に会わない。不快だから親元に帰ってない
こんな話は珍しくないのではと思います。
そう、これが普通なのです。
また、人間関係以外でも世の中の問題は解決できないと考えて下さい。
政治家、世界フォーラム、何とか会議とか世界の問題解決を出来る方々も
素晴らしいと言われるより、問題が多いと陰口を言われます。
ビル・ゲイツ、マスクなど問題解決が出来る人もいますが、ごく一部です。
というか、普通な人が自分はマスクやゲイツみたいな能力を持っていると勘違いするほうが危ないです。
もう一度言います。あなたは世の中の問題を解決できません。だから、人間関係の修復も無理なわけです。

第三章 不快な人間関係からは逃げる

家族から友人知人、仕事仲間で話すだけで不快に感じる場合は逃げて下さい。
友人知人なら本当に逃げればよいわけだし、家族や仕事なら必要最低限の話だけすれば良いわけです。
毎回、金かけて飲みに行っているのに、不快になるのは馬鹿です。
どうして、金かけて相手を修復しようとするのだろうか?
突っ込まれればバカバカしいです。
二章でも言った通り、あなた自身に人間関係を修復する能力は無いと考えます。
人の性格など絶対に直せないと思うほうが安全です。
もちろん、一部の人は成功して特筆する成果を出します。
ゲイツ、マスク、ホリエモン、イチローなどすごい人です。
でも、あなたの名前をこのリストに加えられますか?
無理なら不快な人間関係も修復できないと考えて下さい。
人間関係の修復、世界平和、エネルギー問題、野球で勝つ
素因数分解の方法、貧困問題
そんな問題と戦おうとしないで下さい。戦うと労力やお金を失います。
個別株取引でも7割の人は損すると言われています。
その一方で、インデックス投資で地味に得すると言われています。
人生はそんな無理しない無難な生き方で良いと考えます。

まとめです

第一章 問題はお互い様です

  • 悪い関係はお互い様
  • あなただけが苦しむ必要はない
  • あなただけが悪いと感じない

第二章 世の中の問題は解決できない

  • 世の中の問題は簡単じゃない
  • 絶対に無理と考えれば相手しない
  • 自分はマスクだと思わない

第三章 不快な人間関係からは逃げる

  • 不快な人間関係からは逃げる
  • 周りも逃げています
  • 問題解決出来る人は一部です

人間関係の修復って世界の問題の中で上位です
こう考えれば、普通な人なら相手しないと考えられます
身の回りの人間関係は自分の問題ではない
相手の間違った認識も自分の問題ではない
世の中全ての問題を解決できないから自分の能力は劣っていると考えない。
こう考えて見て下さい。
そうすれば、無理な問題を解決する無駄を防止出来ます。
無駄なことをしなければお金がたまります。

ビジネス書に書かれている 魚より魚釣りの方法を教えるは嘘です。注意してください。


ビジネス系セミナーや社内研修、学校で聞いたことがある話として
「魚をあげるより魚釣りの方法を教えよう」
があります。意味としては一時的な対策として魚をあげるより
魚を定期的に得ることが出来る魚釣りの方法を教える方が成果が出ると言う事です。
これは正論です。しかし、喜ばれません。
と言うよりウザい奴と言われるだけです。
ここであなたがやるべきは、魚釣りではなく魚を上げることです。
理由は後で説明しますが、その方があなた自身の評価も上がるからです。

第一章 魚釣りの方法は誰も聞いていません

質問です、魚釣りの方法を教えてと言われましたか?
絶対にいいえです。相手は「魚が欲しい」と言っているだけです。
そう、あなたが長期的に見て良いと思っても、相手は今を解決したいだけなのです。
ある意味、魚が欲しいと思っている人に釣り道具を上げるのはゴミを上げているようなものです。
海鮮料理を食べたいという人を海鮮レストランではなく
釣具店に連れて行き、高級リールと高級ロッドを買ってあげるのと同じです。
はっきり言ってバカです。こう考えれば大きな問題である事は明白です。
他に意識する方法は、現実に魚より魚釣りの方法で喜ばれた事例を探してください。
宣伝とか、ビジネス書とかの話ではだめです
友人、知人、職場、上司、部下などから実際の経験を聞き出しtげください。
ちなみに、私の交流関係では、魚釣りの方法を教えて喜ばれたという話は聞きません。
こう考えると、この手の話は都市伝説とは言わなくても、作られた感動ストーリーかもしれません。
感動超大盛トッピングの台サービスかもしれません。

第二章 あなたに指導など求められていません

魚が欲しい人に魚釣りの方法を教えることはまず、あなたには求められていません。
仮に、魚釣りを教えてくださいと言われたら、その時初めて教えれば良いわけです。
だから、その人のためになると考えても、魚釣りではなく魚を渡してください。
この、魚と魚釣りの勘違いは出来る人ほどやってしまいます。
理由は、多くの本やセミナーで言われているからです。
いわゆる、自意識過剰の出来る人が周りに押し付けてしまいます。
これを防止するには、自分自身に与えられた裁量を考えてください。
まず、上司から資料を作ってほしいと言われたとします。
その場合に上司にワードやエクセルの使い方を教えるのは問題あります。
理由としては、そのような裁量は与えられていないからです。
まあ、あなたが言われた通り資料を作って、上司に渡す程度の裁量だけです。
この範囲で動いてください。
友人に対しても同じです。何かやってほしいと言われた場合は
魚を渡すか、拒否をするかの二択です。魚釣りの方法は三択目にはありません。
理由は、友人を教育する裁量など与えられていないからです。
魚釣りの方法を教えて問題があるのは単に裁量が無いだけです。
そう、あなたに求められていないわけです。

第三章 魚釣りは難しい

魚を貰うという行動と、魚釣りの方法を習うのを比較するとどのくらい難しいか分かりますか?
魚を貰うことを1とすると、魚釣りを習う労力は無限大と言ってよいです。
このくらいの苦痛を相手に与えます。
一方で、魚釣りの方法を知っているあなたは、それほど難易度は高いと思いません。
これが問題です。自分は簡単だと思っていることが、相手にとっては難しすぎることです。
似たような問題で、一般的な原理原則を教えれば、多くの特殊事例に対応できると言う話です。
理屈上はそうですが、現実は違います。
仮に、その通りであれば、より算数や数学が生活に役立っているはずです。
分数なんて最強の便利ツールになっているはずです。
生活の言葉として分数が使われているはずです。
でもどうですか?社会人になって分数が出てくるのは転職試験でSPIがネタになった時だけじゃないでしょうか?
1/2+1/3はどうでしょうか? 戸惑う人が意外に多いです。

まとめです。

第一章 魚釣りの方法は誰も聞いていません

  • 魚釣りの方法など聞かれてない
  • 短期的な解決しか求められていません
  • 海鮮料理店と釣具店に関連はありません

第二章 あなたに指導など求められていません

  • 教えるという裁量はありません
  • 教えることは求められていません
  • 言われたことをやるかやらないかの二択のみです

第三章 魚釣りは難しい

  • 方法を習うのは難しいです
  • わかる人は分からない気持ちが理解できない
  • 世間は一般化は求めていない

魚を上げるより魚釣りを教えよう
この言葉は皆が聞きます。
そして、いわゆる目から鱗系の感動話として聞きます。
しかし、実際にそんな話は聞いたことがありますか?
100%無いと考えます。
極端な話、そんな話は幻想だと考えてください。感動の都市伝説というわけです。
結婚プロポーズをサプライズで行ったという話は聞いたことがありますか?
交流関係ではないと考えます。それと同じように、魚より魚釣りも実際には無いと考えてください。
昔のアニメでよくある、喧嘩した後にお互いの顔を見て笑い出して友情が芽生える
いや、こんな話は現実では聞かないです。
喧嘩した後は気持ち悪くてその後は会うことは出来ないだろと考えます。
この失敗はフィクションを真に受けるというところかもしれません。
だから、相手が求めてきたら、可能な限りその物を上げるようにしてください。
決して、そのものを得るための方法など教えてはいけません。
この考えが出来ると、無駄な労力がなくなり出費も減り貯金できます。

残念ながら詰め込み教育は必要です 不要と主張する人は天性の才能の成功体験がある人です

「詰め込み教育は不要」と言う主張は今も昔も聞かれます。しかし、現代でも継続して行われています。詰め込む量は減っていますがそれでも児童生徒の頭痛の種にはなっています。 暗記重視の教育は止めて、自由活発な討論などを重視した教育の方が良いという主張もあります。このような主張があるとテレ...