何をやっても文句は言われると考えると貯金できます


皆さん、物事をよりよくしたいですか?
当然だと言われそうですが、お金を貯めるという意味では間違っています
まず、物事を良くしたいという探求心は悪い事ではありません。
経済学でも言われていますが、物事をよくする、つまり生産性を上げないと経済は発展しません。
これは事実ですが、いわゆるマクロの視点です。そう、全体的な視点です。
しかし、ミクロの視点、個別な視点で考えると非常に高い労力になります。
ではどうするか? そう、「これで良い」という点を自分で定義することです。
分かりやすい例として自転車のメンテナンスについて考えます。
ロードバイクなどのレースやツーリングを行う人は「これで良い」と言う点が高いです
一方で、実用車を通勤の足として使っている人は「これで良い」と言う点が非常に低いです
自転車愛好家は壊れる前に部品を交換するが、普段使いの人はパンクしてから考えるわけです。
チェーンだってさびて伸びまくっています。でも気になりません。ただ、愛好家からみたら酷い扱いです。
これだけ聞くと普段使いの自転車は問題あると言われそうですが、実はこちらの方が生活と言う意味で良かったりします。
理由は、普段の問題が全くないわけです。それによって仕事や生活に問題が出るわけではありません。
自転車に関しては「これで良い」という視点が非常に低いわけです。

第一章 無意味に「これで良い」のレベルを引き上げません

先ほどの自転車をメンテナンスすると考えます。
少しでも異音がしたら部品を交換すると考えます。そうすると何が起こるでしょうか?
ほぼすべての回転する部品を交換したくなります。ハブベアリング、ボトムブラケットです。
そうするとブレーキの事とか、チェーンの事とか気になってきます。
確かに自転車にとっては良い事ですが、生活と言う意味では余計な神経を使ってしまう問題が発生します。
自転車以外も物事って目の前の問題を解決すると、第二の問題が第一の問題に浮上します。
だから、何をやっても満たされないわけです。
あと、自転車の場合は最高の手段で問題が解決できます。
それは、定期的に新車に変えることです。どこかがガタ来たら新車に変えれば問題は全て変わります。
しかし、物事全ては自転車のように古い物を捨てて新しくすることなどできません。
なので、出来ることは「これで良い」と言うレベルを引き上げないことです。
自転車でいうと、パンク修理やチェーンへの給油はするが、それ以上はやらないと決めるわけです。
仕事で提出する書類も完璧な物ではなく、上司が求める最低限の基準を満たせば良いわけです。
具体的には、期限は守るが無理に早くしないとか、上司が求めていない過剰な装飾はしないなどです。

第二章 ノーマル状態で製品を利用してみます

物を買った時に関心ある分野程、物事が気になります。
自転車は好きな部品でカスタムするのに、クルマはそのまま乗るとか
パソコンはカスタムするが、自転車は整備しないなどです。
この、自分か関心を示している分野に関して、工場出荷時のノーマルで使ってみてください。
別に最後まででなくても、最初の数か月だけ工場出荷時の仕様のまま使ってみるなどです。
そうすると、分かることがあります。
カスタマイズするのは必要ではなく、好きでやっているという事がです。
自覚するのはその点です。まあ、大好きな趣味ならそれが分かったら思いっきりカスタムしてください。
一方で、仕事とか生活などで無意味なカスタムやアップグレードをしている場合ならそれを我慢して放置してください。
目の前の現象を問題だと思うと手を入れたくなります。
だから、目の前の現象に反応しないようにします。
その目の前の現象に反応しない方法として、とりあえず製品をノーマルで使用してみることをお勧めします。

第三章 何をやっても文句は言われます

工場出荷時の製品をカスタムしたいという欲求は誰にもあります
もちろん、製品設計の段階でより良い物と考えて作られているのに
それに対する不満があるわけです。
そう考えると、私たちが何をやっても永遠に文句は言われると考えます。
これに対して、より完璧にしようと考えないでください。
完ぺきではないかもしれないが、現実的な妥協点を探ってこうしたと考えてください。
気持ち悪いかもしれませんが、そう思ったら関心のないものに対してどうしていたか考えてください。
クルマは工場出荷時のまま乗っている。自転車はパンクしたら修理する
パソコンも良く分からないけど壊れるまで使う
これらと同じことを、現在注力している分野で行えばよいわけです。
そして、自分がやったことに対して文句を言われたら、明らかな欠陥でない限りそうしたと明言してください。
反対に他人がやったことに対しても、特に問題が無ければ指摘などしないでください。
その両方の考え方で思考の無駄をなくすことが出来ます。

まとめです

何をやっても文句を言われる背景としては、何か意見を持たないといけないと言う圧力があります。
全ての事に対して意見を持ち、それに対して回答しないといけないという考えです。
今流行のChat-GPTに欠けるところもそれです。
Chat-GPTって、明らかに知らないことに対しても回答してしまう弊害があります。
これは、あとで人がチェックするという前提のChat-GPTだから許されることです。
もし、人間なら、分からないことや未知の事に対しては「知らない」と答える必要があります。
無知の知という言葉があります。自分の知らないことを自覚することです。
これが出来るからChat-GPTより人間の方が賢いわけです。
もし、人がChat-GPTみたいに何でも完璧にこなそうとしたら
全ての物事に関して永遠に探究して疲れてしまうと考えます。
今すぐ、不必要な探求を止めて、あえて自分はここで探求を止めていると宣言してください。
そして、何かやって文句を言われた場合は、特に実害が無ければ聞き流してください。
社内文書を作って、社外の人に理解されないではないか?と突っ込まれたら
「確かにその通りですね。ところで、その文書って社外の人に見られるのでそうか?」
と聞いてください。
私としては、社内文書に対して社外の理解を想定することが無駄だと考えます。
そして、そういうツッコみをしてくる上司や先輩は出来ない人ではないかと疑います。
あと、何に対しても探求してしまう人って悪い言い方だと依存性だと考えます。
だから、知性を持った人になりたければ、無意味な探求と言う欲求を止めてください。
酒、たばこ、食事の欲求を止められないと健康に悪いとされます。だから止めるわけです。
無意味な探求心もそれと同様です。そして、意味のない探求心を止めることで無駄な行動が減り貯金できます。

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