「間違ったこと」と「正しいこと」はどのくらいの分布でしょうか? 全てが正しく、間違えは例外であるというような認識だと思います。
95%はクズ
SF作家の『スタージョン』という人がインタビューで「SF作品の殆どはクズだ」と言われたときに反論せずに同意したと言う話があります。そして付け加えて「すべての物事の95%はクズである」と言っています。理屈っぽいですが、当然、SFの95%はクズだということになります。
この法則を『スタージョンの法則』と呼びます。だから、世の中で正しいことは5%しか無いと言うことになります。
95%のクズを相手すると病気になる
『シンククリアリー』という本でもスタージョンを引いており、世の中の間違ったことを正そうとすると気が狂うから逃げたほうが良いとも言っています。
ただ、人間に備わった能力なのか分からないですが、間違ったことに対する防衛に多大な労力を費やしてしまう事は多いです。
間違えを正しても喜ばれない
私の大好きな会社『サウスウェスト航空』は「人に能力を覚えさせることは容易だが、性格を改善することは無理」と言っています。同社ではたとえパイロットが不足していても、社風に合わない人は採用をしないとしています。
もっと、分かりやすい例えとして「コンビニの採用」を考えて見て下さい。一人は「コンビニ業務の豊富な経験があるが、過去に店の商品を盗む癖がある」人、もうひとりは「コンビニは全く経験が無いが、つい先日まで知っている会社の倉庫で20年間問題なく勤務していた」。
短絡的に考えると、採用したらすぐにレジ打ち出来る最初の人を採用してしまうと思います。ただ、その後店の高価な商品が時々消えるという問題は発生します。
もし、未経験だが、性格には問題ない人を採用した場合、数週間はレジの使い方とか陳列方法、商品の受け入れなどを一から研修する必要があります。ただ、一度仕事を覚えたらその後の問題は無いと考えます。
これで言えることは、万引や悪事と言った間違えを正すことは非常に厳しいということです。 ここからは憶測ですが、あの「セブンイレブン」もレジ打ちや商品陳列についてのマニュアルは準備していると思いますが、万引常習犯を更生する標準手順などは無いと考えます。(あったらごめんなさい)
間違からチューニングをずらす
ラジオを聞いていて内容がひどい場合はどうしますか? チューニングを変えて他局の番組を聞くと思います。ごく一部の人はラジオ局に電話や投書をして改善させることをすると思いますけど。
ただ、日常生活では間違えに対して「電話や投書」のような行為をしてしまいます。「目の前の人の間違えは正さないといけない」とか「もっと良い道具の使い方を教えてあげたい」みたいなことです。
この教えてあげる行為が他人がどう受け止めるか? 想像力を働かして、同じことを自分がやられたらと考えて下さい。スマホでネットを見ていたときに相手から「○○ブラウザのほうが良いよ」と何度も言われることです。
これに対して、「良い情報を教えてくれた。ありがとう」と言えるだろうか? 多分、「別に今のままで良いのだから言わないで欲しい。ありがた迷惑だ」と思うのでは。
そうだ、ありがた迷惑って言葉があるということは、まずは「ありがとう」と感じた後に「迷惑だ」と感じているわけなのです。
だから、「周りの間違えを正したい」と感じたらチューニングを変えて下さい。あと、動機づけという意味では、間違えを正したい衝動に駆られたら頭の中で「ラジオのチューニングノブを回している」ことを思い浮かべてみて下さい。