若いときにやってしまった人は多いと思うのだが、本やテレビで仕入れた情報やちょっとした雑学をあたかも自分の経験のように語ってしまったことは無いでしょうか?
実は雑学系知識って助言として使ってはいけなかったりします。
雑学と常識の勘違い
雑学って楽しい会話だと思われます。ただ、実際の会話で雑学が占める部分は非常に少なかったりします。
実は楽しい会話って、昨日見たテレビ、昨日買ったちょっとした物、近くの誰々さんは最近見かけない、新しい料理を作ってみたなどという、近々の話題だったりします。こう考えると雑学なんて話されていないと感じるのでは無いでしょうか?
さらに、皆さんが通称で呼んでいる物事に対して、正式名称があるという雑学を披露しても誰も喜んでくれないと考えられます。下手するとその話の輪が気まずい雰囲気になる可能性があります。
この原因は世間的には雑学などに興味がないということです。その興味のない雑学を披露してしまうことが非常識であり、雑学=非常識ってことになります。
雑学は悪なのか?
いいえ、単に雑談で求められていない雑学は悪なのだが、自分の意思決定のために雑学を役立てるのは良いことです。例えば『セブンイレブン』の最後のnは小文字という雑学は覚えておいて欲しいとは思うのだが、雑談のネタとしては避けるべきです。どうですか? コンビニ弁当の話で盛り上がっているときに、
「セブンイレブンの最後のnは小文字なんだよ」
って話をしてもウザがられるだけです。話としては出来ないが、何かデザインを考えたり、広告関係の仕事をするときには
「どうしてセブンのnは小文字なんだ?」
って知識は非常に重要になります。
端的に雑学は悪なのか? という質問に対しては
「人に話すのは良くないが、自分の意思決定のための情報として使うことは良い」
と答えます。余談だが、『地頭力』や『フェルミ推定』の類も雑談ネタとしてはよろしく有りません。自分の意思決定のためだけにしてください(面接や試験で求められたときは例外です)。
賢くなるにはわからないと答える
雑学=常識と考える人はそれが賢い行為だと勘違いしています。ただ、先程の通り、興味のない人に雑学を披露することは単なる迷惑行為であり、それに気がつけない人が常識人である訳は無いです。
そこで、やってもらいたいことは、物事がうまくデキる人ってどのように会話をしているか? を観察することです。多くは
- 最近の経験談を語る
- 意見を言わない
- 雑学については聞かれたことだけに答える
- 「知らない」「分からない」が多い
じゃないでしょうか? 雑学を披露しないどころか、世間的に分かりそうなことも分からないと答えています。
なぜなのか?
理由は単純です。楽したいだけです。経験談を話したところで問題は無いし、論争の種となる意見も言わない。聞かれたことに関して答えるのは相手の要望があったからで問題はない。
ちょっとでも疑念があれば分からないとしておけば、その後の責任も無くなる。
なので、賢い人はすべてのことに関して分からないと言っているに等しいです。
ミニマリストは賢い生活術
私が好きな言葉である
「好きをやめて、大好きと必要で生きる」
を会話に当てはめると
「賢くなるには全て分からないと答える」
に当てはまるのでは無いでしょうか? 大好きなことと必要なことは確実に知っているから、間違ったことを話す率は低いですし、周りの興味を引く話が出来る情報量もあります。
その一方で、ちょっとだけ聞いたこと、テレビで観た話については、雑学であると考えます。
確かに雑学って話のネタとしては無限の可能性がありますが、物に例えると落ちている石程度の価値です。そんな物もらっても嬉しいでしょうか? で話を終わります。