『不幸中の幸い』って言葉があります。大体は「大怪我をしたが命は助かった」とか「家を失ったけど命は」みたいな使われ方です。でも、実はこの不幸中の幸いって人から言われると不快感があったりします。
決めつけられることは嫌い
話を少し変えて、「他人から何かを決めつけられること」は嫌いでは無いでしょうか? あなたがあるものが好きだという事実が有っても、他人から「〇〇好きでしょ?」と言われた場合に不快感があるのではと考えます。
そう、良い事実であっても他人から物事を決めつけられることは嫌いということです。
だから、不幸中の幸いという強い決めつけは嫌われるのは当たり前です。
単に自分が良かったというだけで良い
不幸中の幸い系の返しとしては、「あなたに会えて良かった」と単に自分の気持を言うのが一番だと考えます。 「あなたに会えて良かった」という言葉には決して相手への評価はありません。 単純に自分自身の気持ちでしかありません。
オウム返し
相手を評価しないという意味では「オウム返し」が良いです。仮に相手が「不幸中の幸い」と評価したなら「そうなんだ」という形で返せば良いです。
クルマを失って最悪だ! と言われた場合は、「まだ一年しか乗っていなかったのに」みたいな反応をすればよいわけです。
自虐ネタは当人だけ
自虐ネタという物がありますが、それを言えるのは当人だけだと考えます。そして、「不幸中の幸い」も自虐ネタに近いところがあります。ある意味自分いじりという話題としては危険度が高いものでもあります。
「エスニックジョーク」という物が世界にあります。○○人は気が早いから! みたいなことをいじる系の冗談です。 このエスニックジョークって同じ人種や国籍、ルーツの中にいる人が自虐的に使うネタです。
だから、部外者が軽い気持ちで使うことはよくありません。そして、それと同じものが「不幸中の幸い」です。
老害
老害ってご存知でしょうか? 特に年配者に多い害になる行動です。その老害の多くは「決めつけ、自分の世界のみが正しい」という思いから出てしまうことです。
「バスで座りにくいタイヤの上の席を譲ったら、こんな座りにくい席大概にしておけ。バカか」
となった話をネタとして聞きます。このような発言をしてしまう人が典型的な老害です。
そのような老害だから、「不幸中の幸い」ということを決めつけてしまうのではと考えます。
誰しも、老害を与える人になることは良いことだとは思いません。だからこそ、その一つとして、他人を安易に決めつけることは止めることをおすすめします。
不幸中の幸いって言葉は、最低の決めつけの言葉なので封印するのが平和かもです。