黙ってニュースを聞けば貯金できます

テレビでもスポーツ観戦でもいいですが、黙って観ることが出来ない人は周りにいないでしょうか?
ここでは、自分自身は置いておきます。理由としては自分観察は難しいからです。
ニュースに対して好き嫌い、憶測、分析をする。スポーツに対しては後知恵を元にした批判をする。
そんな人はいないでしょうか?
では次の質問です。そういう黙って観戦できない人はあなたの役に立ちますか?
その人の意見がすごくニュースの理解やスポーツの観戦に役立つかです。
どうですか? ただ、ウザいだけじゃないでしょうか?
では、また質問です。どうしてウザいと感じるのでしょうか?
その理由は、事実ではなくその人の分析だからです。
分析と言うと聞こえはいいですが、批判や文句だ言い換えてください。

第一章 事実は欲しいが意見はいらない

よくある間違えとして、選挙で自分が投票していない候補が当選した場合
「私は反対だったし、意見を聞いてくれない共同体はひどい」
みたいな反論があると思います。しかし、この反論は間違えです。
選挙って共同体の構成員の自由意思を聞いているわけではありません。
構成員全員の好き嫌いを投票することによって全体の意見を決めているわけです。
だから、嫌いな候補が当選したことは事実であり、全体の意思決定であるわけです。
ただ、身近な話だと事実より意見の方が口に出るわけです。
ここで分かるのは需要と供給のアンバランスです。
意見は大量に供給されるが、意見の需要は少ないという事です。
そういう事です。学校で習ったと思いますが、売りが殺到し、買いが少なければ価値は暴落します。
だから、世の中の意見には価値が無いわけです。
では、どうして意見が貴重と勘違いされるのだろうか?
それは、有名人の意見が貴重だからです。
同じ株に関する意見も、私が言った場合と、バフェット氏やレイダリオ氏が言った場合とで全く価値が異なります。
ただ、だれが言っても同じ文字列なので、皆さんはその文字列にこそ価値があると勘違いするわけです。

第二章 意見を求めない

本を読めば必ず事実が手に入るという話も危ないです。
ベストセラーとして書店に平積みされている本
あっ、今ならAmazonランキング上位の本は事実と言うより
その有名人の意見が書かれていることが多いからです。
ただ、なぜかそれを事実として感じてしまうわけです。
昔に読んだ、イケてるファッションみたいな本はひどかったです。
はっきり言って、事実と言うより著者の感じることや、こうなってほしいと言う願望での本です。
確かに流行とされるファッションではありますが、本当にそれが全てかは怪しいです。
ファッションと言うことで考えると、流行おくれの服を着ている人は結構多く見かけます。
と言うか冷静に考えれば、コレクションのランウェイのような現実の方がおかしいです。
多くの人は、傷んだから今売っている手ごろな服を選んでいるだけだと考えます。
そんな事実と、最先端ファッションは現実と食い違っていると考えます。
では、どうしてそのような意見を求めてしまうのだろうか?
それは、自分を肯定したいからです。自分の行動に対して同じ意見を聞きたいわけです。
身近な例だと、自分の考えや行動に対して周りに同意を求めることです。
これこそ意見中毒なわけです。

第三章 事実を面白がる

時々ゲームの世界で「ファンタジースポーツ」が話題になります。
参加者は選手を集めて理想のチームを作ります。
選手の情報は成績に応じて数値化されて、理想のチームに反映されます。
それで勝ち負けを競うゲームがファンタジースポーツです。
あなたが理想で選んだチームと言う意味でファンタジーなわけです。
でも、日本では全然流行りません。
理由としては、数字で淡々と判断されて意見が入る余地が無いからです。
実際の試合なら、色々と意見する箇所があります
しかし、ファンタジースポーツは統計や計算です。
そのファンタジースポーツ的な事実を面白く感じれば
事実を正しく認識できるわけです。
事実を面白がるには、自分自身の意見を止めてみることです。
まず、やって見るのは、黙ってニュースを聞いてみることです。
ここで、話に反応して意見が頭に思い浮かぶ人は重症だと考えてください。
一番多いのが、全てを好き嫌いで意見することです。
宣伝、殺人事件、政府の方針、著名人の不倫、新車発表、娯楽など
全てに対して何らかのポジションを持たないといけないという圧力です。
とりあえず、これら全てを無視してください。
方法は、冷たくなればいいわけです。殺人事件でさえ、善悪の判断を放棄するわけです。
世間に対して無責任になるわけです。とはいっても、絶対に責任を持つ当事者はいるので
その人たちが問題を解決してくれると安心してください。
自分は中立の意見を持っているという考えは妄想に近いです。
これはひどい話があります。実際にあったケースです。
動物好きな知り合いがニュースで小型犬の飼育放棄のニュースで憤慨していました。
その後、似たようなニュースで蛇とかイグアナとかの爬虫類の飼育放棄の話があった時に
「それは問題ない、爬虫類なんて飼う人の神経も分からないし・・・」
です。
他にも、クイズショーとかは単なる娯楽で意味が無いと言っている人が
陸上競技に関しては意味があると言っているわけです。
別に中立とかって話じゃなく、当人の好き嫌いで論じているだけなのです。
中立とか万能とかって言葉を使っている人が、単なる感情論になっているわけです。
だから、分析できるという人が自分自身の分析すらできていないわけです。
一方で、有名な投資家やノーベル賞を取るような科学者が、「知らない」と言う言葉を多用します。
繰り返すように、自分の分野じゃないから分からないというわけです。
だから、普通な私たちもそれに習って、分からないことには意見せずに情報だけを見聞きすれば良いのでは無いでしょうか?

まとめです

第一章 事実は欲しいが意見はいらない

  • 世間は意見は求めていない
  • 意見は大量に供給されている
  • 意見が貴重なのは誰が言ったか

第二章 意見を求めない

  • 著名人は事実のように意見を言う
  • 自分の意見に同意を求めない
  • 意見は中毒の危険があります

第三章 事実を面白がる

  • 事実は刺激がありません
  • 一個人に中立な意見などありません
  • 賢い人ほど知らないことが多いです

実は意見って内容を求められているわけではありません。
成功者のセミナーを聞くのは、成功者から話を聞きたいわけです。
全く同じ内容でも、あなたの話には全く価値はありません。
では、普通な人に何が求められているかと言うと
単純な事実と手順です。
単純な事実とは、ニュースで言ったことです。
殺人事件、不祥事、新製品情報などの事です。
手順とはだれがやっても同じになる計算の事です。
凄い殺人事件が起こった! と伝えるのは事実ではありません。
凄いという意見が入っているからです。
ニュースで凄い殺人事件が起こったと伝えるならそれは事実です。
そう報道していたわけですので。
今日からとりあえず、黙ってニュースを見ることで事実を確実に頭に入れられます。
話を聞きながら意見を考えると、確実に混ざります。だから注意してください。
名門大学生の読書術なる本では、読みながら反論を考えるとあります。
しかし、あれは基礎的な能力、本に書かれている事実のみを読むことが出来たうえでの話です。
だから、普通な人がまねても不要な部分に突っ込みを入れてしまうだけです。
悔しいですが基礎からじっくりとやって見る必要があります。
幸い、練習するにも特別な機材や本は不要です。
単にニュースや人の話を意見や分析を入れずに話せばよいわけです。
それをひたすら繰り返してください。つい、意見したくなりますが、魔が差したと思って気を付けてください。
このことにより、周りより情報が多く入り、無駄の無い生活が出来、貯金が出来るようになります。

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「詰め込み教育は不要」と言う主張は今も昔も聞かれます。しかし、現代でも継続して行われています。詰め込む量は減っていますがそれでも児童生徒の頭痛の種にはなっています。 暗記重視の教育は止めて、自由活発な討論などを重視した教育の方が良いという主張もあります。このような主張があるとテレ...