困っている人を助けて喜ばれる理由は分かりますか? 理由は「困っている」が解決されたからです。非常にバカバカしい問答ですが、これから重要なのでクドいくらい繰り返してください。
ただ、助けたはずなのにシケた反応であることも多々あります。「お礼がない」「見返りがない」などです。別に求めているわけではありませんが。更にひどい場合は「助けを求めたつもりはない」とか「お前には助けてもらいたくなかった」といった批判的な反応もあったりします。この原因は「助けてもらったのにお礼をしない無礼な人」という相手の問題で片付けられることでしょうか?
実は、助けたのに感謝されない理由は簡単です。「特に困っていない」というところです。よく聞く言葉として「大きなお世話」がありますが、そんな言葉が誰にでも知られているということは、世間では「困っていないのに救援される」という事例が多いのではと考えます。
話が飛ぶが関連があるので読んでほしいのだが、私の先輩はスクーバダイビングを趣味にしており、ダイビング系の資格を持っています。いわゆるCカードってもので、自分がダイビングをするための資格が有名です。そのCカードはインストラクターやガイド向けの上位の資格があります。ダイビングを教えたり、観光地でのガイドをするための資格です。
まあ、初心者を超危険な海に引率するわけですので万が一のためのレスキューも習います。その先輩が講師から「今から溺れるから助けてください」と言われました。そして救助しようとしますが、何回挑戦しても講師に沈められます。まるで昔のファイナルファンタジーの電源を入れた直後に始まる戦闘みたいなものです。そう、どちらも意図的に組まれた無理ゲーってものです。
だったら、溺れた人をどう救助するのか? 答えはバカバカしく簡単です。溺れている時は放置します。 そして、体力が尽きて沈んだ瞬間に救助するということです。
実は溺れている人ってそんなに困っていないということです。理由はまだ水面に浮いて呼吸が出来ているからです。もちろん意識もあります。 シケた言い方だと溺れている人って「自分の問題を自分の技術で解決しようとしている」ということです。
溺れているのが問題解決か? と言われそうだが、それこそが問題です。プログラミングなどの技術文書を読むと「エレガントな解決策」が多く示されています。しかし、現場ではそんなにエレガントではありません。どちらかというと「人が溺れるようにコーディング」しているわけです。でも、当人は困っていません。
「大きなお世話」が発生する大きな理由は「困っていない人を救助している」からです。だから、どのような分野でも人を救出する場合は「困っている」ことを確認した上で行うべきです。
苦しいですが、他人が溺れているときには絶対に助けてはいけません。助けるタイミングは「沈んだ時」です。