スポーツの根性論的な考え方のセリフで、
他人と戦うのでなく、自分との闘いである!
という事を聞いたことは無いでしょうか?
この言葉は非常に良い言葉ですが、多くは根性論的な使い方をされていると思います。 つまり、どれだけ苦しくても諦めるなという意味です。
確かに、人間の体は肉体的な部分より精神的な部分が弱いので、この方法論だと肉体により多くの負荷をかけてトレーニングを行うことが可能です。
でも、肉体にも限界というものがあります。 また、人によってはその限界は様々です。
体育や部活動のトレーニングでは、全員に一律のトレーニングを課すことが多いです。全員で
・1500メートル走る、泳ぐ
などです。 これらは、いわゆる基準から外れた人に不幸をもたらします。 まずは、もともと基礎体力が低い人です。 この人の場合は、全員と同じ距離を走れなかったり、過剰な負荷をかけてしまったりします。
また、トップアスリートの資質のある人にも不幸をもたらします。 ずばり、負荷が軽すぎることです。 正しい負荷でトレーニングしていれば、更に伸びる可能性があったのに、全員と同じトレーニングを行なっていたことにより、将来のメダリストの仲間入りをすることはできません。 また、チームが大会で好成績を上げるチャンスを失います。
自分との闘いという言葉ですが、まずは、他人との闘いに置き換えて見ましょう。 他人と戦うときは前もって相手の情報を収集します。 相手の弱点や得意技などを前もって調べます。
しかし、自分との闘いの時には何も、対戦相手との情報を収集しません。 疲れたとかという主観だけで闘います。
これはひどいことです。闘いとしてはお粗末です。 そこで、心拍計を使うと自分自身の負荷を知ることができます。 ランニング時に装着すれば、心拍数が表示され、高すぎる心拍数で長時間運動すること、低すぎる心拍数で全く運動になっておらず時間の無駄であることを防止できます。 多くのスポーツで必要とされる持久力ですが、心拍計を使えば、すべての自分の持久力と闘い、効率良く向上可能です。
身体能力が優れた人は更に上を目指せ、低い人も効率良く体力を上げることができます。
私も自転車運動のために心拍計を買いましたが、毎日楽しく運動ができます。 苦痛になるような負荷や怠けた運動などがヘリました。 また、機種によっては自転車のスピードやGPSの情報を取得できるので、的確なパフォーマンス分析が可能です。
自分との闘いで自分を客観的に知る必要があります。 これが心拍計です。