残念ながら詰め込み教育は必要です 不要と主張する人は天性の才能の成功体験がある人です

「詰め込み教育は不要」と言う主張は今も昔も聞かれます。しかし、現代でも継続して行われています。詰め込む量は減っていますがそれでも児童生徒の頭痛の種にはなっています。

暗記重視の教育は止めて、自由活発な討論などを重視した教育の方が良いという主張もあります。このような主張があるとテレビでも事例が紹介されたりします。私が知っている物ですと「テレビ学習」や「フィールドワーク」、「ディベート」です。

確かにそれらは児童生徒にとっては楽しいです。しかし、詰め込み教育の代替手段となっているかと言うとそれは否定します。先ほどの「楽しい」と言うのは覚えるのが楽になるという意味ではなく、覚えることをする代わりにテレビや外を歩く、ディベートで何も考えずに物を言ったり、消極的に聞いていると言ったりすることです。 そう、単にサボっているだけだから楽しいわけです。

私の主張ですと、テレビ学習は基礎を覚えるには分かりやすいですが、それ以上の学習は自分で演習する必要があるわけです。フィールドワークにしても、知識があって観察が役立つわけです。 ディベートも討論する目的を設定できてこそ役立つわけです。

残念ながら児童生徒に対して「井戸水」と「水道水」のどちらが良いか?と言う事をディベートしてもらう事は無理だと考えます。理由は知識が無いからです。ライオンと虎のどちらが強いか?と言う話も同様です。イベントとして両者を檻に入れて戦わせる物を想定しているのか、自然での生存を分析したいのかの評価すら出来ないわけです。

「理想の給食」とか「理想のクルマ」、「未来の家屋」と言った子供向けコンテストがありますが、それらは技術討論と言うより、図画工作的な自由な発想を評価されているわけです。トヨタ自動車もそのようなコンテストを行っていますが、絵画としての斬新さを評価しているわけであって自動車技術としての面は見ていないわけです。

https://toyota.jp/sp/yumenokuruma/

多くの子供の自由な発想を求められる機会は図画工作や芸術の部分のみであり、知識を覚えるという部分では全く求められていないわけです。この二つの分野の混同が詰め込み教育が自由活発な討論で代替できるという勘違いを生んでいると私は考えます。

では、どうしてそのような勘違いが発生するかと言うと、いわゆる「天性の才能による成功体験」がある人が勘違いしているからだと考えます。

「自転車を器用にコントロールできる」「スケートやスケボーなどをすぐに乗りこなせた」「学校の授業も聞いているだけで覚えられた」「絵が上手くかけた」これらの成功体験を天性の才能で取得した人はいわゆる学習の難しさが分からないわけです。

「スケボーに乗れる人はスケボーに乗るのに基礎練習など不要」

と勘違いするわけです。これが問題なわけです。ほとんどの人はまともにスケボーに乗ることなど出来ないので、手取り足取り教えてもらいながら練習するしかないわけです。ただ、人って厳しい鍛錬からは逃げるので、そんな人はスケボーには乗らずに別なことをやるわけです。そして、「天性の才能で苦労せずに覚えた人」だけがスケボーに乗るわけです。

このように何か天性の才能であまり苦労せずに技能技術を取得した人は「詰め込み教育は不要」とするわけです。

そして悲劇はこれから起こります。天性の才能で技能技術を取得した人は本気で基礎練習無しで他の分野も理解できると勘違いするわけです。

一方でこの勘違いをしにくい人は、資格取得などの勉強を自分で本を読んで行った人だと考えます。 当然本を読んでも内容は知らないわけなので、自分で努力して覚えていくわけです。この体験をしていれば詰め込み教育が必要であることが理解できると考えます。

分かりやすい例としては「アイスホッケー」が良いと考えられます。まず、私はアイスホッケーは出来ないと断言します。理由として「アイススケート」がまともに滑れないからです。そう、アイスホッケーはアイススケートを滑ることが出来るという基礎技能の上でなりなっている競技なわけです。分かりやすい依存関係です。

詰め込み教育も実は「アイスホッケー」と言う実用をするため覚える「アイススケート」のようなものであると考えます。

https://www.webchikuma.jp/articles/460

哲学をするには論理を知らないと出来ないという主張もあります。ここでの例えとしては

「論理を知らないで哲学をやろうとするのは、フランス語を知らないでフランス文学をやろうとするようなものだ」

というものです。これは納得します。アイススケートの下りで書きなすと

「論理を知らないで哲学をやろうとするのは、アイススケートを滑れないのにアイスホッケーをやろうとするようなものだ」

とスムーズに書き直すことが出来ます。そして意味の破綻もありません。

このように物事を行うには基礎になる部分の学習や習得は必須なのではと考えます。もちろん、基礎を100%にしないと応用が出来ないという意味ではありません。基礎0%では応用は出来ないと言っているだけで、基礎が10%になったら基礎を練習しながら応用も実践していくという並列学習は出来ると考えます。

Amazonで哲学に必要な論理の本を買います。

Non-Alcoholic Sparkling ノンアルコールスパークリングワインは楽しいです

 酒を飲まなくなってほぼ二年たちます。時々、お酒が恋しい時がありますが幸運なことに誘惑には負けていません。 ただ、いわゆる「ノンアルコール飲料」には怖くて手が出せていませんでした。 ノンアルコールビールはもちろん、ノンアルコールカクテルを飲むとそこから禁酒が崩壊しそうで怖かったわけです。

ただ、今回はその怖い「ノンアルコール・スパークリングワイン」を試してみました。近くのスーパー「バロー」で二本で500と言う激安で売っていた Capel のノンアルコールスパークリングワインです。

こちらです。もう、見た目は普通なアルコール飲料です。全然ジュースぽさがありません。これは雰囲気が出ていいですね。

味は、ソフトドリンクでもジュースでもない特別な飲料という感じです。少し酸味が効いておりやや飲みにくいですが、良い味わいです。 そう、アルコール飲料にある、微妙に飲みにくい良い抵抗感が再現されているわけです。

最後に、決してこれを飲んでまた、アルコール生活に戻ってしまう危険性は全くないと断言します。 そもそもアルコールが入っていないので別物ですし、実はアルコールって洋菓子などにも入っているので日常生活でも口にしているわけです。

もしかしたらですが、完全な断酒ではなく、時々アルコールも楽しむという生活も出来るかもしれませんが、まあ必要はないのでこれからも全くアルコールを飲まない人生を楽しんでいきたいと考えます。

繰り返しますが、アルコールを飲まない習慣を身に付けた人であれば、ノンアルコール飲料がまた、飲酒を繰り返すきっかけにはならないと考えます。







絶対にできることを優先すれば貯金できます


私が貯金できなかった理由の一つとして、不確実なことに力を注いでいたからです
この資格を取れば就職で有利になる、こういう知識を身に着ければ成功できる
こんなことばかり考えていました。
しかし、どれも絶対に成果につながるものではありません。
決して絶対にやってはいけないことではありません。
資格の勉強や知識を得ることは重要です。
しかし、優先順位を考えると低いです。
だから、まず初めに行うのは本当にやるべきことを先に行う事です。
では、本当にやるべきことって何だろうか?
それは簡単です。やれば絶対に出来ることです。
まだ手を付けていない、やれば絶対に出来る問題解決をすれば次に進めます。

第一章 絶対に解決できる問題は放置しません

一番の問題はお金が無いという事です。お金が無いから必要なものを買えないと言うわけです
ではどうするか? 月に1万円の節約をしてみることです。
これって絶対にできます。出来るかな?ではありません。出来るのです。
1万円を使わないと一万円節約できるかな?ではありません。
確実に1万円が節約でき、貯金できます。
これが、優先順位を高める絶対にできる問題解決です。
時間が無いという問題も絶対に解決できることの一つです。
家に帰ったら、とりあえずテレビをつけて何か見るという癖を止めれば
余分な時間を1時間手に入れることが出来ます。
もっと強力な方法としては、職場近くに引っ越せばさらに時間を手に入れられます。
乗っていないクルマやバイク、自転車があれば売ることも可能です。
使っていないサブスクを解約することも絶対にできます。
反対によく使っているサービスの会員に入ることで今までより少ない費用で楽しむことができます。
いつも使っているサービスに前払い制度が無いか確認することも確実にできます。
千円のお守りは買うが、千円の節約や有用なサービスに契約しないことは馬鹿馬鹿しいです。

第二章 地味で大きい問題を解決します

大きな間違えとして、問題を地味であるか派手であるかで考えてしまうことがあります。
掃除や片付けは地味なことです。一方で掃除機を吟味したり、ロボット掃除機とか掃除の豆知識と言ったテレビ番組は派手です。
でも、掃除機を良くしても確実に掃除と言う習慣が付くわけではありません。
ロボット掃除機も、部屋が散らかっていれば使えません。
掃除の豆知識も家全体の掃除に役立つわけではありません。
問題解決の方法としては、単に家のごみや不要物を捨てて、古い掃除機で掃除するだけです。
決して新しいテクノロジーや方法論をお金をかけて手に入れることではありません。
家電量販店の掃除機コーナーで掃除機を買えば、家の掃除の問題が解決されるなどありません。
掃除機を買った場合、掃除機と梱包材といったゴミがさらに追加されるだけです。もちろん、お金も減ります。
だから、家電量販店から速攻で逃げて、自宅のゴミを一袋だけ集めて玄関においてください。
筋トレグッズが欲しくなったら、速攻で逃げて自重トレーニングとでもググって真似てください。
減量できるサプリメントを欲しくなったら、速攻で寄り道せずに家に帰ってビールやつまみを楽しまないでください。
新しい趣味をやりたくなったら、速攻で家で帰って、昔買って飽きた趣味の道具や楽器を手に取ってください。
全て問題解決は派手なマーケティングには絶対にありません。
既に所有している身の回りに問題解決はあります。
地味な問題解決方法ってキラキラしていません。しかし、非常に強力な力があります。
だから、是非それを活用してください。

第三章 サバサバします

笑い話なのだが、その人に相談すると単純にやればよい、止めればよいと言ってくる人がいました。
しかし、その人が悩んでいるときに、同じように単純な方法を返すと、いやーそれは・・・ってなります。
そう、人って周りの問題解決は簡単だが、自分の問題解決は同じように出来ないという欠点があります。
だから、サバサバするというか、自分自身の問題を単純に解決すれば道が広がります。
家に物が多いと口にする前に、物を減らせばよいわけです。
何も大好きなものを無くせというわけではありません。
理詰めで一年間触っていない物は捨てればいいわけです。
一年間乗っていない自転車、バイク、ボート、スキーなどは捨てられます。
趣味じゃないコレクションも捨てられます。
ファッションマニアじゃない人は着ていない服は処分できます。
二年前に買ったピザカッターも捨てられます。ピザが大好きじゃ無ければですが。
自分の周りの問題を最優先で解決することで多くの問題は解決されます。

まとめです

第一章 絶対に解決できる問題は放置しません

  • 一万円を節約すれば絶対に一万円の貯金が出来ます
  • 一時間節約すれば、一時間別のことが出来ます。
  • やれば絶対に成果が出ることを優先します

第二章 地味で大きい問題を解決します

  • 本当に掃除機を買えば家がきれいになるか考えます
  • 買った掃除機自体がゴミにならないか考えます
  • キラキラした問題解決の押し売りを拒否します

第三章 サバサバします

  • 自分自身にたいしてサバサバします。
  • 問題を口に出す前に解決します。
  • 理詰めで考えた解決策を重要視します

実は絶対にできることをやればよいという話は子供の時から聞かされています。
痛い言葉ですが、勉強すればそれなりに出来る
と言う事です。学校の成績が悪い原因としてはその人の能力ではなく
単にその勉強に労力を振り向けていなかったというだけです。
では、労力をなぜ振り向けていなかったのだろうか考えてみます。
勉強より遊びが楽しいからでしょうか? これは誤った分析です。
実は、真剣に取り組むことから逃げているからです。
勉強は真剣に取り組むことが要求されるが
遊びは真剣に取り組まなくても良いという逃げ道があるからこちらを選択するわけです。
これが分かる理由としては、音楽教室やリトルリーグとかボーイズリーグなどのスポーツ
将棋教室を考えると分かります。これがは勉強ではないが、勉強と同じくらいストイックに行わないといけません。
勉強だから、娯楽だからと言う部分じゃなく
真剣だから、真剣じゃないからと言う部分で考えられています。
家の掃除とか節約などの絶対にできる問題解決から逃げる理由としては
真剣にやらないといけないからだと考えます。
正直、昔からなんとなく逃げていた事なのでこれを習慣にするのは難しいです。
しかし、音楽やスポーツ、ゲームとは違って、節約や片付けはやれば確実にできます。
毎日8時間楽器練習しても著名なミュージシャンには必ずなることはできませんが
部屋のゴミを毎日片づければ、絶対に家はきれいになります。
節約したお金を貯金すれば絶対にお金が貯まります。
この絶対にできるという部分がある事で強い希望は持てると考えます。
だから絶対に貯金できるわけです。

無駄な自尊心と指導を止めれば貯金できます


無駄な行動の一つとして、無意味な戦いをすることがあります。
待っているときに割り込まれた、相手の不快な冗談、大切なものを粗末に扱われる
こんな、失礼とすることに対してあなたは戦いたくなるのではないでしょうか?
表面的にみると完全に相手が悪いわけですが、根本を見るとあなたが悪かったりします。
その大きな原因は二つあります
「自尊心」と「相手への期待」です。
だから、その二つを完全に捨てれば良いわけです。
自尊心とは横文字ではプライドです。これでなんとなく意味は分かったと思いますが
横文字と言う簡易な手段に逃げているので詳しく説明します。
自尊心とは自分は尊敬されるべきであるという言葉です。
他人は自分に対して尊敬や尊重などの配慮をするべきであるという言葉です。
相手への期待とは、周りはそう動くべきであるということを他人に期待することです。
自分は列に並んでいるので、他人にもそれを期待するというような考えです。
実は、その「自尊心」と「相手への期待」は悪影響しかないと考えてください。

第一章 自尊心を捨てると楽になる

他人から自尊心を傷つけられる行動をされた場合に多くの人は戦います。
不快であることを主張したり、場合によっては手を出すなどです。
このような行動は悪影響しかありません。
残念ながら自尊心を傷つけるような言動をする人は人間的に問題があります。
そんな、問題のある人に正論をぶつけても改善されることはありません。
残念ながら放置で良いのです。
ただ、そもそも自尊心と言う考えが無かった場合は、相手から何を言われても反応しません。
だから、傷つけられた自尊心を我慢するのではなく、そもそも自尊心を持ち込まないと言う事です。
あと、そもそも相手は攻撃する意図など無かったりすることもあります。
いわゆる「ハンロンの剃刀」と言う話です。
単なるミスをワザと攻撃したと勘違いすることです。
交通上のトラブルで「割り込まれた」と言うものがあります。
割り込まれた側は、わざとやられたと勘違いして怒りを覚えます。
ただ、割り込んだ側は、単なる安全確認のミスや運転スキルが未熟であっただけかもしれません。
相手は攻撃の意図など全くないわけです。これを攻撃と考えるのは単に「自尊心」の問題です。
だから、そもそも自尊心が無ければ何も問題は無かったわけです。

第二章 相手への期待を捨てます

相手への期待が高すぎると無駄な行動の原因になります。
先ほどの、道路で無理やり割り込まれたという話がエスカレートする原因は相手への期待です。
相手に対して悪いことをされたというアピールをすれば、相手が分かってくれると期待してくれると言う考えです。
まず、どうして相手への期待をしてしまうのかと考えてみます。
どうですか? 非常に謎じゃないでしょうか?
全く知らない人に対してどうして期待するのでしょうか?
理詰めで考えると完全に無駄な行動ではないでしょうか?
だったら、知らない相手に期待することは止めてください。
あと、家族や友人に対して過度に期待しすぎたらどうなるでしょうか?
こんなことをしたら、完全にウザい人認定されます。
ちょっとでもミスをしたら、改善するように指導する人は良い人でしょうか?
師弟関係ならそれもありかもしれませんが、そんな関係じゃ無ければ最悪だと考えます。
親子関係は師弟関係に近いかもしれませんが、それも幻想です。
親子と師弟の関係は全く違うと考えてください。だから、親子であっても指導は厳禁です。
この無意味な師弟関係を捨てるためには相手への期待を捨ててください。

第三章 ストレスの原因の100%は自分自身です

「怒り」は現象に感じますが、実は動詞です。主語が自分自身の動詞です。
だから、怒っているのは自分自身なのです。
馬鹿馬鹿しい話ですが、あなたが怒りたいから怒っているわけです。
主語が自分だから、確実に自分自身でやめられます。
第一章での自尊心、第二章での相手への期待を捨てるだけで怒りの原因は無くせます。
割り込まれたり、失礼なことや筋が通らないことを言われた場合に怒りを覚えるのは
あなたの自尊心への攻撃と
相手に期待してそれを裏切られた
のが原因です。怒りを覚えたくなければ、自尊心と相手への期待を捨てるだけです。
もちろん、社会が良くなるには他人を尊敬する必要や、他人が向上する期待が必要です
ただ、それらの問題はあなたが解決する最優先の問題ではありません。
仮に、変な怒りもストレスもない完璧な精神力を持っていれば皆のためにその問題に取り組んでください。
でも、自分自身の問題に悩まされているのなら、そちらを優先的に対策するべきです。
職場で不快な気分になると考えてみて下さい。
その原因が自尊心の傷つけや先輩への期待であるのなら、今回の方法で対策できます。
休憩中や飲み会などの仕事以外のレクリエーションでストレスになると言う場合なら
自尊心を捨てて、一人で休憩したり、飲み会に不参加などすればよいだけです。
後輩が仕事を覚えないでストレスになっているのなら、今すぐ期待を止めてください。
約束を守らない友人がいるのであれば、今から期待しなければ好いだけです。
悪いのは失礼なことを言う相手や約束を守らない人ではありません。
それによって自尊心を傷つけられたと感じるあなたです。
そして、勝手に期待したことを守らないと考えるあなたです。
あなたが勝手に感じて、勝手に怒っているだけなのです。
冷静に考えてください。感じる、期待、怒りは動詞です。そして、主語はあなたです。
あなたが感じ、あなたが期待し、あなたが怒るです。 そう全てあなたがやっていることです。
だから、止められるわけです。

まとめです

「怒りの洪水」って表現がありますが、誤解するのでやめてください。
まず、怒りの主語はあなたです。 怒って誰かを傷つけたのはあなたです。
洪水の場合の主語はどうでしょうか? はっきり言って主体がありません。
あるとしたら、自然とか宇宙の原理とかそういうものです。ただ、あなたでは無いことは理解できます。
怒りはあなたが行っています。洪水はあなたが行ったわけではありません。
だから、それを一緒にしてはいけないわけです。
洪水のように怒りを抑えられないなんて嘘です。誤った例え話に騙されているだけです。
その怒りを抑えるには、自尊心と相手への期待を捨ててください。
自尊心と相手への期待が強くなると、相手に指導したくなります。
この、指導と言う欲求が現れたら注意をしてください。
指導はウザがられます。理由は、そんなものを求めていないからです。
指導したいという気持ちは、需要から発生するものではりません。
一方的に供給側の考えです。供給が増えると物価が下がるのと同じで
指導に関する価値は低いわけです。大体の場合はゴミなわけです。
こう考えると、自尊心と期待は害悪しかありません。だから、今すぐ捨ててください。
そうすれば、無駄な行動が無くなり出費も減り貯金できます。


テレビやネットは希望や不安をあおります。
完全なる嘘は無いと思いますが、非常に珍しいことである可能性はあります。
そう、めったに起こらない事実を、よくある事実として伝えられることです。
希望を煽る例としては
FIREで早期退職して、資産運用だけで生活している。
フリマサイトを利用して自分の好きなものを作って売っている
高いランチを食べている。高級車を持っている
などです。
不安をあおる例としては
老後2000万円問題。
相続とか空き家問題
医療費が高くつく問題
新テクノロジーに関する悪影響
などです。
ただ、どうでしょうか? テレビやネットではお馴染みの話でも
家族、友人、知人、仕事仲間でこのような話を聞くでしょうか?
テレビやネットで見たという人はいると思いますが
交流関係でそういうことを体験しているという話は聞かないと考えます。

第一章 都市伝説

都市伝説ってご存じでしょうか?
私が良く聞いたのは、音楽著作権協会の暴挙の話です。
昔からやっているピアノバーに営業開始日から未払いの音楽著作権の使用料を請求されたという話です。
音楽関係の飲食店が高額な著作権料を請求されて廃業したという話です。
ただ、実際にそのような話を聞いたことはありません。
もし、本当にあるのなら、どこかの大都市のそのような情報が聞けると思います。
あー、あそこの店ですね。みたいな話です。
私もその話を飲食店でしたら、そこの店主が
「その話って都市伝説じゃないの?」
と言いました。その人も実際に音楽著作権協会に店を潰されるという噂話は聞いたことはあるが
実際に潰されたという話は全く聞いていないとのことです。
また、BGMとして音楽も流しているし、時々ライブをやっているが
騒音の苦情や物を売る営業の突撃はあるが、著作権協会は来たことは無いとのことです。
実際著作権協会は一年に一回程度、生演奏を提供するような店を訴えたという話をしていますので
嘘ではないですが、それほど周りが気にする程度の話ではないと聞きます。
ちなみに、小規模な飲食店であれば一か月の使用量は数千円なので最初から加入しているとのことです。
このように極端に頻度が低い問題も、よくある日常として勘違いされていることが多いです。

第二章 六次の隔たり

六次の隔たりという言葉をご存じでしょうか?
ものすごく単純化すれば、友達の友達を6回たどれば
誰でも、ビルゲイツやイーロンマスク、ウォーレンバフェットとつながるって話です。
先ほどの廃業したピアノバーのような話も、「六次の隔たり」によって
具体的な話として聞けるわけです。
職場で聞いても、「あー、新宿8丁目のあのジャズクラブね」って話になるはずです。
ただ、そのような話を聞けないということは事実であっても非常に微小な事実である可能性があります。
老後2000問題にしても、本当に問題なら交流関係で聞けるはずです。
祖父母の空き家が崩壊して隣の家に賠償を支払ったという話も、交流関係では聞きません。
大企業の社長、FIREした人、不動産で不労所得を得ている人
LGBT、身体障碍者、反社会勢力、銀行員、芸能人など
知覚できる六次の隔たりを使ってもそれほど見つけ出せないと考えます。

第三章 別経路で再確認する

テレビで情報を得た場合は、交流関係に話を聞いてみて下さい。
テレビでスマホが良いと聞いたら、周りに話を聞いてみて下さい。
知らねーよって言われたら、現時点では導入は早すぎると考えてください。
遠い交流関係のテクノロジー好きが使っていると聞いたら、まだまだ、テクノロジストの玩具と考えてください。
ファッション好きな友達の友達が使っていれば、感度が高い人が見た目で導入していると考えてください。
友人から聞いた話も、別の「六次の隔たり」を使って確認をしてください。
それで似たような話を聞ければ、その情報を元に行動しても良いと考えます。
私が高校生の時に聞いた話ですが
ある親御さんが子供から、みんなこんな靴を履いているから欲しいと言われました。
しかし、その親御さんは靴を買う前に、実際に学校に行き下駄箱を見に行きました。
でも、普通なスニーカーばかりで、子供が欲しいと言っている靴はごく少数でした。
この話も、息子のごく狭い関係を全てだと思うことを疑う事から始まっています。
そして、このような間違えが普段の生活から起こっているわけです。
だから、情報に反応する前に、情報は別方向で確認してください。

第一章 都市伝説

  • 都市伝説は本当なのかと疑います
  • その出来事が実際にあったのか聞きます
  • マスコミのレアケースには反応しない

第二章 六次の隔たり

  • 友達を6回たどれば有名人にたどり着ける
  • 六次の隔たりで聞いた話は信ぴょう性があると考える
  • よくある事実と思い込むのを止める

第三章 別経路で再確認する

  • マスコミと交流関係のダブルチェック
  • 交流関係に聞いて知らないと言われたら導入は避ける
  • 二つの交流関係をチェックに使います

今現在、ChatGPTというAIチャットボットが流行しています
昨日、テレビで特集をやっていました。
この場合に、友人知人に話を聞けば今の普及率が分かります。
私の場合は、一次のつながりで8割の方が実際に使ったことがあると言っていました。
ただ、実際の仕事で使っているかと言われたらそれほどでもないと言われました。
確かに、GhatGPT単体では面白いですが、仕事で使うかと言われたら、疑問に思ったり
とりあえず、使い方を模索しているという話です。
これなら、特に興味が無ければ様子を見る程度で良いと考えます。
把握していないご先祖の家が倒壊して損害賠償って話も
テレビのニュースやネットでしか聞きません。当然、自分の家族ではないし
それで苦しんでいる交流関係も聞いたことがありません。
FIREをして金銭的独立をしている人も交流関係では聞きません
興味があってFIREについて調べたり、投資をしているという程度の人なら聞きます。
このように、マスコミだけで煽っている話の殆どは生活には実害が無い話であり
特定の交流関係が騒いでいる問題も、別の交流関係では全く意識していないということもあります。
あなたの不安を煽るという意味では検索エンジンの構造も問題です
仮に老後2000万円問題についてググったとします。
そうすると、あなたの不安を煽るニュースやブログばかり検索されます
検索エンジンはあなたが信じたいことを増幅する仕組みになっています。
あるものが欲しいと思えば、強烈に欲しくなる方向に
あるものが怖いと思えば、強烈に怖くなる方向に向かっていきます。
だから、意識すればするほど考えが極端になります。
ここで重要なのは、複数の人間系を使って再確認することです。
本当に重要なものなら、複数の人間関係で同一の見解があります。
スマホが重要なのは複数の人間関係で所有しており、実際に使っているからです。
食器洗剤は重要なのは、複数の人間関係で全ての人が使っているからです。
ただ、野菜が洗える食器洗剤は、複数の人間関係ではすべての人は使っていません。
一部のマスコミや、その手の商品に引っかかってしまった特定の集団だけです。
この場合は、自分自身の生活に、洗剤で野菜を洗うことは考えなくて良いわけです。
人が問題に思うのは、それが問題だからではありません。単にそのことを知ってしまったからです。
だから、知った場合でも複数の人間関係を使って情報を再確認してください。
そうすれば無駄な行動と出費がなくなり貯金が出来ます。

期待するのを止めると貯金できます

人が無駄なことを考えたり実行する原因の一つとして期待があります。
まず、物事について期待する癖があると非常に疲れます。
疲れるという事は労力を使うという事です。
労力を使うためには時間やお金が必要です。
そう、期待することであなたの大切な時間とお金が奪われるわけです。
だから、まず考えるのは期待するのを止めるという言葉です。
ただ、具体的に期待とは何か?ということが分からないと思いますので後で説明します。
ここでは「期待」と言う言葉をブラックボックスとして考えてください。
期待で最も悪影響を与えるのは、裏切られた時の怒りです。
何かに期待したのに裏切られたから、それに対して怒りを感じるという事です。
仕事を便利にするためにパソコンを買ったが、そうならなかった
ダイエットのためにロードバイクを買ったが、そうならなかった
あの人は約束を守るだろうと思ったが、約束を破られた
今までより安い工具を買ったが、すぐに壊れてしまった
子供の教育費用をかけているが、成績が悪くなった。
これらの問題の原因は何にあるでしょうか?
パソコン、ロードバイク、約束を破ったあのひと、安い工具、あなたの子供ですか?
これは強く否定します。それらは全く悪くありません。
悪いのはただ一つです。そう、あなたの期待です。

第一章 あなたの勝手な思い込みです

何かに期待したが、その通りにならなくて怒りを感じた場合
悪いのは、期待した何かではありません。
期待したあなたが悪いのです。
そして、期待を裏切られたあなたが悪いのです。
この原因としてはあなたが勝手に期待したからです。
怒りを感じたのもあなたが勝手にそのようなことをしたからです。
全て、あなたの思い込みなのです。
パソコンを買って使いこなしている人は、パソコンに期待などしていません。
確実に表計算やデザインが出来るから買っているわけです。
ロードバイクを買って続いている人は、ロードバイクに期待などしていません
確実に有酸素運動が出来る器具として考えているわけです。
確実に早く移動できる手段として考えているわけです。
これを実感するためにもっと確実なものを考えてみます。
料理をするために包丁や鍋を買う場合は、何も期待などしていないはずです。
買えば確実に料理を作ることが出来るわけです。
ここで、包丁で手を切ってしまったり、鍋を焦がしてしまった場合は怒りを覚えるかもしれませんが
決して包丁や鍋に対してではありません。この場合は確実にあなたの技能に欠陥がある事が分かっています。
だから、パソコンやロードバイクみたいに怒りが誤った方向に向くことはありません。
繰り返します。包丁や鍋には何も期待していないから、それに対する怒りは無いわけです。

第二章 世間はあなたに対して期待などしていません

冷たい言い方ですが、幸運な事実として受け取ってください。
世間、周りはあなたに対して何も期待など求めていません。
有名人やトップアスリートなどは例外ですが、その人たちでも私生活に関しては何も期待されていません。
テレビで面白かったり、歌が上手かったり、大会で優勝したりなどです。
そう、それらは例外として普通な人は何も期待されていないわけです。
だから、あなたも世間と同じように周りを期待しないでください。
昔の話ですが、隣の部署に出来る先輩がいました。その人にいろいろ有益なことを教えられましたが
その先輩は私の成長など期待していませんでした。ただ、聞きに行けばいろいろ情報を教えてくれました。
そう、教えてくれるが、私を無理やり教えようとはしていませんでした。
この、相手に対して期待しないという心の持ち方が重要であると考えます。
馬鹿馬鹿しいですが先ほどの例を逆に考えると
パソコン、ロードバイク、約束を破ったあの人、安い工具、あなたの子供などは
あなたに対して何も期待はしていないと思います。
だから、あなたもそれらに対して期待を持たないことが重要です。
理由は、期待していないのはお互い様だからです。

第三章 起こったことは事実だと思います

期待せずに事実を直視すれば怒りはありません。
もちろん限度はありますが、誰かに家を焼かれたり、家族に危害を与えると言う話は例外と考えてください。
先ほどの例だと
パソコンが役立たなかったのは、単に周りの流行に流されて買っただけとか
自分の業務がパソコンに落とし込めなかっただけかもしれません。
単にあなたにパソコンのスキルが無かったからかもしれません。
ロードバイクにしても、そもそもあなた自身が運動が苦手だったり
今あるママチャリもそれほど乗っていなかったという事実があるかもしれません。
このように、あなたの期待など関係なしに起こったことは全て事実だと認めてください。
そうすれば、期待することがいかに無駄だということが実感できます。
これだけの量を毎日手計算しているが、パソコンを使えば入力は必要だが計算は素早くできる
毎日運動する習慣があり、ロードバイクを買えばさらに運動が効率的になる
こう考えて買うのです。そして、これらの意思決定にはパソコンやロードバイクへの期待はありません。
買えば、思ったことが確実に実行できるという意志のみがあるわけです。
投資の話ですが、出来る人は市場に期待などしていないと聞きます。
単に事実として未来に上がるか下がるかがあるだけとしています。
そして、負ける人は期待して投資するわけです。期待通りなら喜び、でなければ怒るのです。
投資が出来る人は、事実として値下がりすれば淡々と損切りをし、決めていた価格まで上がれば売るわけです。
これに期待は全くありません。
あるのは、そうなったから売るという事実だけです。
このように、期待せずに起こったことを事実だと思えば無駄使いが減り貯金が出来ます。

さいごに

交通事故の原因の一つとして、状況への期待があります。
見えないカーブの出口に危険が無いことを期待する。
歩行者が車道に飛び出さないことを期待する
自動車が自転車にぶつからないことを期待する
この期待が破られると事故になります。
だから、期待しないことが重要なのです。
もちろん、スポーツとかで勝利するためには何らかの期待は必要ですが
それは、その分野に特化したことだと考えてください。
草野球で強い選手も生活や仕事ではその期待を持ち込まないわけです。
生活や仕事では確実なことを積極的に選び、期待する事は避けるわけです。
材料が確実にその日に到着するが、朝一に到着するかは分からないという場合では
その日の朝に到着することは期待です
次の日に材料がある事は確実な事実です
期待する人は当日の朝一に材料が来る前提で仕事を組み立てます。だから、場合によっては失敗します。
期待しない人は翌日に確実に材料がある事を確認して仕事を組み立てます。万が一、材料が前日にないことが分かれば別の仕事の予定に切り替えるかもしれません。
人気のレストランに行く話でも期待は悪です。
確実に食べるために朝早く到着するのは期待しない方法です。
昼くらいに食べられるかもしれないと思って出かけるのは期待する方法です。
こう考えると、世の中は、期待する人が多いと考えられます。
だから、期待せずに確実なことだけに手を出す人が余裕が生まれると考えます。
他には期待することは良い事と勘違いさせる原因としては
何かを信じることは良い事と言う刷り込みです。
もちろん、信じることは良い事ですが、期待が必要な物事を信じることは良くありません。
信じるのは確実なことだけにしてください。
コインの表が出る というのは期待です。
一方でコインは裏表のどちらかが半分の確率で出るというのは確実な事実です。
だから、コインの表が出ることを信じるのは止めてください。
ここで信じるのは、コインは半分の確率で表か裏が出るという事です。
もう、分かったかもしれませんが、期待するという行為はギャンブルと等しいです。
期待はギャンブルだから勝ち負けがあるわけです。そして、負ければ怒りを感じるわけです。
だから、期待と言うギャンブルは止めてください。
当たり前ですが、ギャンブルを止めれば貯金が出来ます。

最大の投資術は節約術で貯金できます

投資で儲かると理由は分かりますか?
多くの人はわからないと思いますが、単純です。
それは、その行動を周りがやっていないからです。
少ない人がやっているからその行動に価値があるわけです。
かつての定期預金は年利5%程度の高金利でした。
その理由は皆はお金を消費していたからです。お金を預ける人は少なかったわけです。
そして今は、インデックス投資で比較的安全に投資できるとも言われています。
これも、あと数十年後には金利は下がると考えられます。
インデックス投資もかつての定期預金と同じで投資する人が貴重だから金利が高いわけです。
今ではオンライン証券やNISAやIDECOと言った制度で皆が投資しています。
そうすると投資という行動に対して価値が無くなるから得られるものも少なくなるわけです。
一方で節約術は100%の人が同じことをしても全員のリターンは変わりません。
一ヶ月に全員が1000円の節約をしても、お互いの価値が下がるわけではありません。
だから、私は最大の投資術は節約術と考えます。

第一章 投資家すらコスト重視

インデックス投資という方法があります。
格付け機関が景気をはかる基準として上位の会社のランキングを公表しています。
日本だと日経225、アメリカだとスタンダートアンドプアーズの500、ダウ工業平均などです
それらの平均をインデックスと呼んでいます。ランキング上位の株を持ち続けるという投資がインデックス投資です。
インデックス投資は専門家もリスクある予測も不要です。また、売買回数も少ないため手数料も低いです。
実はこの低コストのインデックス投資は、コストを掛けて積極的に市場予測する方法より勝っています。
そう、投資の世界でも勝つのはコスト重視な戦術です。
だから、私達も生活や仕事でコストを強く意識する必要があります。
コストを意識することはつまり、節約術です。

第二章 そのガムは味が無いですか?

私の持論ですが、飴よりガムを楽しめる人の方が節約の本能があると考えます。
飴は溶けたらそこで終わりです。楽しめる分量が決まっています。
一方でガムは、終わりを自分で決めることが出来ます。
すぐに捨てることも出来ますし、長時間楽しむことが出来ます。
すべての物事をガムを長く噛むように楽しむと節約できます。
映画のDVDも何度も楽しむことが出来ます。
ボードゲームやテレビゲームも何度も遊んで極めることが出来ます。
近場の散歩も一生飽きずに楽しめます。
今、何か欲しいと感じたら、一番最後に買った物の味が本当に無くなっているか考えて下さい。
極端かもしれませんが、将棋が飽きたという話も変です。
あのゲームはまだ、全てを解明されていないはずなので、ガムに例えればまだまだ味が残っています。
近場の散歩道にもまだまだ、知らない何かがあります。
そして、一年後には今では考えられない変化があります。
ボードゲームが飽きたという人は、必勝法を見つけているのでしょうか?
世の中すべてのものは、ガムのようなものです。
味がないと決めつければそこで終わりです。
しかし、実際は味は残っています。

第三章 冷静に観察で節約できます

自転車やクルマのタイヤやブレーキみたいな壊れたら死ぬもの
病気など健康にかかわるものは例外として
全てのものは、壊れてから買い替えるという考えで節約できます。
テレビがデジタルに変わるから映らなくなるで焦った人は要注意です
高価なテレビを買ってしまったり、急いで詐欺営業で工事してしまったりします。
これも、焦らずに何が起こっているか観察して対処すれば良いわけです。
最悪、テレビが映らなくなってから考えても良いわけです。
クルマのタイヤが走行中に故障したら死にます。誰かを殺します。
でも、テレビが映らなくなっても死なないし、誰も殺しません。だから焦らないで下さい。
電話もこれからデジタルに変わると言われています。
これも、冷静に対応して下さい。正解を言うと、利用者側は何もしなくても継続して使えます。
ただ、仮に、使えなくなったとしてもNTTに連絡すれば原因を教えてくれるし
その前にNTTから対応方法のお知らせが絶対に来ます。
あせって、「NTTの方から来た」という怪しい人の話は聞かないで下さい。
最初に、タイヤや健康の話をしましたが、どちらかというと
それらの出費は渋る傾向にあります。
古いタイヤを使い続けたり、歯が痛いのを何年も我慢するなどです。
これは、笑ってしまう話です。テレビや電話は使えなくなってから考えて良いですが
タイヤや歯は使えなくなる前に対策して下さい。
冷静に観察することが出来れば、不要な心配で浪費しません。
そして、タイヤや歯にお金と感心を向けることが出来ます。

さいごにです

質問です。2つあります
使っているスマホはなんですか? そして、使っているタイヤはなんですか?
ほぼ全ての人は、スマホは言えるが、タイヤは言えないと考えます。
この場合、考え方を変えて下さい。
タイヤって、走行中に壊れたら誰かが死ぬ可能性が高いです。
人を轢き殺して7時のニュースの話題になるかもしれません。
一方で、スマホが壊れても人は死なないし、7時のニュースで放送もされません。
こんな違いがあるのに、世間の感心はタイヤよりスマホです。
正直、スマホなど壊れてから考えれば良いわけです。
普通な人なら、連絡が取れなくなっても笑いながらごめんなさいで対応可能です。
タイヤが壊れて誰かを殺した場合は笑って対応など出来ません。
極端な例かもしれませんが、ここで考え方のミスがあるわけです。
ほぼ全てのものは事が起こってからの対応で十分です。
いわゆる後手対応です。後手というと嫌われますが、本当に嫌われるのはタイヤの例程度です。
タイヤとかブレーキ、自動車や自転車、体の痛みや健康などは例外として
それ以外は起こってしまってからの対応で十分です。
投資を考えている人は、まずは節約を考えて下さい。それが最大の投資術です。
これで、貯金が出来るようになります。

残念ながら詰め込み教育は必要です 不要と主張する人は天性の才能の成功体験がある人です

「詰め込み教育は不要」と言う主張は今も昔も聞かれます。しかし、現代でも継続して行われています。詰め込む量は減っていますがそれでも児童生徒の頭痛の種にはなっています。 暗記重視の教育は止めて、自由活発な討論などを重視した教育の方が良いという主張もあります。このような主張があるとテレ...